「異聞・戦国録」第ニ話.秋風 半Be先生作

 上総介おめぐが上総安房の富国策を発してから5ヶ月が過ぎようとしていた。紅葉ますます色濃くなる1560年9月下旬のことである。上総への内房側の入り口であるここ市原の地では、半兵衛、条星、セバスチャンの三人によって築城が着々と進められていた。
某夕方のことである。この城の未完成の天守で、3人は武蔵の地を見ながら何やら話している。
「それにしても、築城を始めて以来、他勢力より攻め立てられず、本当に良かった。ここまで完成しておれば、一応は篭城もできよう。」
条星が言う。
「そうですな。しかし、この状態での篭城は、戦に勝っても再び一から城を建設しなくてはなりません。」
セバスチャンがそう答えると、半兵衛はうなずきながら言った。
 「そうですな。敵が少数ならまだしも、多勢で来られてはひとたまりもありません。城の規模自体も小さいですし…。援軍が来るまでが精一杯というところでしょうか。」
言いながら条星の方を見ると、条星は遠くの何かをしきりに見ている。半兵衛とセバスチャンはすぐに条星と同じ方向を見る。そこには一騎、こちらに駆けて来るのが見て取れた。
「何者だ?」
条星が言うと、セバスチャンは
「はて。何にせよ、あの急ぎようではただ事ではなさそうですな…。」
と、言いながら半兵衛を見た。半兵衛は二人と目を合わせながら、
「とにかく、街道まで出向きあの者を取り調べるとしましょう。」
3人はうなずき合うと、急いで天守を降りていった。

一方その頃、久留里の城では、ささやかな宴が催された。大谷宝を筆頭に行われていた城下の開発がほぼ完全に終了したのである。
宴の主席者はおめぐをはじめ全部で八人。大谷宝、黒井お猿、宮本雅、源太郎、兜太郎丸、新田小十郎、木枯紋次郎である。このうち後者三人は久留里城の改修の普請に当っていたのだが、こちらのほうも来月早々には完了するという次第であった。
一同が揃うと、宴は食事を前に盃が交わされ、ごく普通に始まった。個々の苦労話や笑い話に始まり、酔いが回ってくると歌まで歌いだすものさえあらわれた。しかし一人、皆の話も聞かず、ただ黙々とお酒を飲んでいる者が居た―木枯紋次郎である。紋次郎は剛直な性格柄、時を同じくしてそれぞれの当面の仕事を与えられた一同として、市原で築城をしている三人を除いての宴には反対だったのだ。どうせ宴をするなら市原の城が完成してからでもいいのではいか。それが紋次郎の言い分だった。その紋次郎を見かねて、おめぐは言った。
「紋次郎。もういい加減機嫌を直したらどうか?」
すると、太郎丸も続く。
「そうじゃ、紋次郎殿。ムスッとしたものが居るだけで、せっかくの場が和まなくなってしまうではないか。」
「………。」
紋次郎は無言のまま酒を飲みつづける。すると、今度はだいぶお酒の回った宝が言う。
「左様左様。お館様の言うとおり。普段なら、お主が一番陽気に振舞うではないか。」
だが、紋次郎は耳を傾ける様子も無く食べ物を頬張る。すると小十郎が酒を一口含みながら言った。
 「この宴も楽しみ、市原の城ができた暁には新たな城で再び宴を楽しめばよかろう。」
これを聞いた紋次郎は、小十郎を睨みつけた。小十郎は冗談ぽく大袈裟に肩をすくめ杯を口に運んだ。
その後、雅や太郎が歌や踊りに誘っても一向に機嫌を良くする気配は無かった。ここまで見て、やれやれという表情でおめぐは言った。
「紋次郎は若いのにここにいる他の年配者よりも頑固じゃなあ。紋次郎の気持ちも分からぬ訳ではないが、人には息抜きが必要なものじゃ。もしここに呼ばれていなくても、条星や、セバスチャン、半兵衛はそれを憾んだりするような者達ではないことは、お主も分かっておろう?」
紋次郎はチラッとおめぐを見ると、
「分かっておりまする。」
そう、言い残し宴の席を立ち表へ出て行った。それを見送りながら他の出席者達は宴を続けるのであった。
久留里城の門を出た紋次郎は、ぽっかりと浮かぶ秋の満月を見上げ心で呟いた。『分かってはいるのだが…。』
それと同時に一度強い風が吹き抜け、明るい月に雲がかかり影を落とした。秋とはいえ夜の風はやや肌寒いものである。紋次郎は着物の襟口を直すと月光が遮られた暗い帰宅の道を急いだ。

部屋の中がにわかに暗くなった。明かりを点けない、とある小屋の中で男が障子をほんの少し開けて夜空を眺めると、つい先刻まで輝いていた月が雲に隠れている。視線を下ろすと、やはり先刻までキラキラと輝いていた海が光を失っている。男は一つため息をつくと障子を閉めて部屋の中央に戻った。男の向かいには一つ座布団が置いてある。男はその座布団を見ながら腕を組んで時を待った。
それから幾分か経つと、小屋の扉が開き、男が入ってきた。暗くて良くは分からないが、初老かそれ以上の老人であることは確かなようである。老人は部屋で待っていた男に軽く頭を下げると中に入り、座布団に腰をおろした。
「して、お考えは決まりましたかな…。わが殿は以前の条件で貴殿を召し抱えると、そう申しておりました。」
しばらく沈黙が続いた後、老人が話した。すると男は間を置いて答えた。
 「うむ…。このままあなたに付いて行ったとして、そのまま殺害される…。などということは無いという保証はありますかな?」
男は顔に若干の皮肉めいた笑顔を見せた。老人は表情を変えずに言う。
 「そのようなことは万が一にもありませぬ。絶対の信用を置いてくださって結構でございます。貴殿の現在の地位と禄高。そして我殿がこの地を制圧した際には一国を貴殿に任せる、これもお約束いたします。」
 「…それは、氏康殿の言葉として聞いて良いのだな。」
 「無論…。」
そしてまた沈黙の時が過ぎた。男は目を閉じて大きく一呼吸し、答えた。
 「…私には殿への恩義があるし、忠誠心もある。……しかし…。男に生まれた以上野心もある。」
これを聞いて老人は、変えない表情の中にも多少の安堵感をのぞかせた。
 「では…。」
 「うむ。参ろうか。小太郎殿。」
男がそう言うと、二人は立ち上がり、小屋を出た。
この小太郎と呼ばれた男。北条氏の乱波・風魔一族の頭目、風魔小太郎である。
月は未だ雲に覆われて辺りは暗いままである。
二人は小屋の裏にある小高い山の中へと入って行った。山へ入る前に小太郎が男へ話しかけた。
 「よろしいですな…。義頼殿…。」
男は黙って頷き、来た道を振り返り深々と一礼すると、山中の道を急いだ。そう、男は里見義頼。上総介おめぐの家臣である。この数日後、義頼は小田原城へ入城した。この里見義頼の出奔がこの後、北条、総介家の両家にどんな影響を及ぼすのか。今の時点で知るものは誰一人として居なかった。

宴も終わり、おめぐは眠る前に一人、城の中庭に出て夜空を見上げた。月はまたもとの輝いた姿に戻り、やや西に傾いていた。やがて、また一層強い風が吹いた。その風が止むと、おめぐは乱れた髪をすばやく直し寝所へと向かった。

永禄三年。房総にようやく吹き始めるようになった秋風は、何やら不穏な空気を含んでいた。



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