『革命者でいること』①馬(別にいいじゃん) 河合統金先生作

 わたくしめは、不束者ながら、16世紀の日本におきまして地上に生を受けた、「オダノブナガ」という名を持つあるお方の、守護霊の一人を勤めさせていただきました遠野中将と申す女房でございます。守護霊などとは申しましてもわたくしなどはほんのはしくれでろくに力もございません、実際に信長殿をお護り申し上げていたのはわたくしなどよりずっと位の高い守護神霊の方々でございます。その守護神霊の方々のお手伝いをさせていただきながら、わたくしめも信長殿のことを日々そっと、見守っておりました。今日は信長殿の育った日常の心象を、お見せ致しましょう。
*     *     *
 カッ、キーン、キーン、キーン、キーン、キーン、キキン、キーン、ジャリッ。
「今日はこれくらいにしておきましょうか、若どの」
 長槍をうわやりに持った(作者は「うわやり(上槍)」を槍の持ち方のひとつと推測する)少年信長はまだ槍を振り回していた。まだ納得が行かないのだ。槍指南が困ったような顔をするのを見て、ようやく槍先が宙を飛ぶのを止めた。
「いいよ。今日は町に出るから」
 江戸時代に入ってからの武芸練習所などとは違い、ここには練習用の木刀などは存在しない。いや、存在することはするのだが、それは指南役が主君を傷付けないがために使用するものであって、自分は使わせてもらえないのだ。来る日も来る日も、白刃の真剣を持たされる。ひとつ間違えば、指南役の指が飛ぶかも知れない、自分の身を斬るかも知れない。重く胸にのしかかる分厚い緊張感。圧迫される、息が詰まりそうになる、この生き(息)苦しさ。刃物を握るときは、常に心を静めているよう努めていなければならない。
 信長は槍を中間(ちゅうげん)に渡して馬に跳び乗る。
 馬は、どこまでも駈けていく。そのリズムに身を委ね、噴き出る汗は風に任せる。最も愉しいひと時だ。ここには自然と一体化した自分がいる。すべてを忘れてただ感じればいい。緑を、宇宙の音楽を、大地の鼓動を。
 馬は変わらない。あの頃も、そして今も――
 最近はこうして、独り馬上にいることが多くなった。新天地でも求めているのかも知れない。何処か新しいところへ、新しい何処かへと、急速に駆りたてられているのが自分でもよく分かる。もどかしいのだ。それが何かわからないから。それが何かわかる場所まで、俺は早く行ってしまいたい。もっともっと速く、もっと速く走れ!馬よ!
 五郎左(丹羽長秀)が遠くから追ってくるのが聞こえる。奴は黙ったまま静かに後ろを附いてくる――青年信長は馬の腹を蹴るのを止めて、町の方へと坂を下りて行った。
 彼は昼飯を食いながら4、5人で町を見物して歩くのだ。町はそこかしこに見世(店)が出て、子どもたちがその間をかけ回り、老若男女問わず実に様々な人々が会話を交わし物をやりとりする。草履を売る奴もいれば縄を売る奴もいる。最近できたもち屋は人気が高くていつも前に人がいる。
「あのもち、うまそうだっぺ。買うてきてくれよ」
 武具を付けていない少年が一人飛んで行って彼のためにもちを買い求めた。
「大将!どのへんで食べますか」
 信長の左側に寄り添う化粧した少年が行き先を尋ねた。彼がこの道の先導役なのだ。なぜなら信長自身はひどい筋肉痛で、まともに歩けなかったからである。この朱槍を持った少年は顔におしろいをはたき、眉を描いて口に紅をさしていたが、これは当時の青少年皆がこうしていたわけではない。かと言って、「不良」というほどのものでもなかった。
 信長はこの少年の両肩に左腕をかけ、右側を歩く「正しい格好」をした五郎の左肩に残りの手をのせていたが、彼が人の肩にぶらさがるような歩き方しかできなかったのにはちゃんとした理由がある。馬に乗り過ぎているのだ。この筋肉痛は乗馬経験者なら誰にでもよくわかるものなのだが、基本的には股関節付近をやられる。ここは歩くときには必ず使用する部位であって、その結果、一歩進むたびに痛みが走ることになるし、その歩き方も足を大きく開いてへっぴり腰で進むような、非常にマヌケなものになる。人に笑われて当然なのである。
「ああ、あの辺りでいいよ」
 あの辺り、と言ってもいすがあったりするわけではない。この筋肉痛は、歩かずに立っているだけなら何も問題はない。立ったまま食う。別に問題はない。その後ひょうたんから水を飲んでまた出かける。別に問題はない。
「勝(池田恒興)は?あいつまた乾物屋に行ってんのか」
「大将!そのようです。見当たりません」
「ふうん(=デアルカ)」
「……。」
 五郎左は寡黙な青年である。黙ったまま時々こちらを振り返る。

 袴を着けずに茶筅結いしていることよりも、
 化粧したお犬(前田利家)にもたれかかっていることよりも、
 にぎやかな市(いち)の中を、若い町女たちが頭に籠をのせて横切っていくのを、"呆けたようにボーッと見て"いたりするから、この大将は「うつけ(虚気)者」などと言われてしまうのである。
 それでも彼は、町ゆく人々をボーッとながめることをやめることはなかった。その虚ろな瞳の奥には、町ゆく人々―民衆―の「生(Life)」そのものが、ありありと映し出されていた。
――彼らは何を欲し、何に苦しんでいるのか。彼らは何を求め、何を望んでいるのか。
「今彼らに必要なものとは何か」
 答えは見え始めていた。