『革命者でいること』②秘密(それを言うな!) 河合統金先生作

 遠野中将でございます。
 あっ。次のお話はまだ見てはいけません。実は、このことは長いあいだ口にするのをタブーとされておりました。秘密の中でも最重要機密といったところでございます。ですから、そおっとのぞいてみることに致しましょう。この日、尾張那古野のお屋敷では、美濃の姫を迎え入れるための婚儀が行われておりました。さすがまむしの道三殿の実子であるだけあって、それはそれは美麗に、それはそれは丁重に、ご入城なさいました。この姫は御年14歳、まだほんの小さな少女でございました。
     *     *     *
 祝儀が終わり、とうとう奥座敷で二人きりになってしまった。この娘、年は同じくらいか。それにしても侍女たちに比べてなんて堅苦しいんだろう。祝儀の最中は、顔をじっと見ても、目を合わせてもくれなかった。いったい何を考えてるんだろう……
 三郎信長は、いつもの虚ろげな顔に憂いを浮かべていつものように腕組みをした。
 この娘とどうしろって言うんだ……
 祝いの杯の向こうに座る<高貴な姫君>が、すると、いきなり頭を下げた。そしてまるで小学校の学芸会ででもあるかのような緊張した大きな声で言った。
「斎藤山城道三の娘、帰蝶にございます!!」
 ビクッ。なんて大きな声なんだ。なんでこんなしゃべり方をするんだ。
 濃姫のすっとんきょうな声に心底驚いた信長は、そのドキドキする心臓を静めるために、長い長い鼻息を出した。そのせいで、彼の顔はますますこわばりしかめ面に近くなった。
「……。」
「……。」
「……。」
「あのう、」
 いつのまにか<高貴な姫君>の顔は少し上がって、上目遣いにこちらを見ていた。その目は「この人、大丈夫かしら?」とでも言いたげで、またたいそうあきれているようでもあった。
「あのう、わたくし、貴方さまのことはかねがね、おウワサをうかがっておりましたけど」
 信長は視線を少し上げた。
「本当にこんなお方でしたとは、夢にも思っておりませんでしたわ!」
 <高貴な姫君>は鼻をツンと反らして、「ああばからしい」という軽蔑のまなざしになったかと思うと、急にキツイ目つきになった。相変わらずのきびきびした調子で続けた。
「わたくし、お父上さまに言われてますのよ。“まむしの道三”の名に恥じない生き方をしなさいって」
 信長は動かなかった。
「……あなたも、恥を知りなさいよ、恥を!」
 その濃姫の言葉にはなぜか、悲愴なものが漂い始めていた。可哀想に、この小さな姫には重い宿題が課されていたのだ。そんなことをつゆとも知らず、信長はこのあととんでもない行動に出てしまうのである。
 何を言い出すんだ、この娘は。
 信長もなんだかだんだん不安になってきていた。気を紛らわそうと赤漆の杯を手にした。
 濃姫は、ずっと腕組みをしたままの信長の態度に、もう絶望してしまった。
 “まむし”の娘はそのまま烈しい口調で言った。その時彼女の小さな手が懐に当てられていたのを、信長が見たのかどうか。
「わたくし、うつけの子どもなんて生みたくありません…!!」
 彼女の目の端に浮かんだ涙を見るか見ないかのうちに、信長は夫婦の杯を床にたたきつけた。信長はもう立ち上がっていた。濃姫の目には彼が本物の鬼に見えた。顔を真っ赤にしたその小鬼は、怒りに唇を振るわせながら吐き捨てるように大袖を振ると、闇の中へ荒々しく立ち去って行った。
 あっという間の出来事だった。
 これは、その当時にしてみれば、実にとんでもないことなのである。初夜の儀式が終了してはじめて、正式に婚儀が成立するのであるから、この信長の退席は理由の如何に関わらず、織田家と斎藤家の一大事、果ては戦の火種にもなりかねない。この後の平手政秀たちの大わらわが目に見えるようである。幸いなことに、この夜信長は人目を嫌い、彼の隠れ場所(少年の秘密基地でもある)にじっとしていたため、この惨事を見知る者はごくわずかであった。濃姫付きの侍女数名である。彼女たちの一人が平手に内々に申し伝えて、平手だけが苦労を背負い、なんとか表向きをとりつくろうことに成功したため、事は大きくならずに済んだ。下々の者も、まさかそんなことは想像もつかないことであるので、悪いうわさが立つこともなかった。
 濃姫の侍女の一人は信長にも直接お目通りして平謝りに謝った。もちろん、死を覚悟の上でである。この侍女はこのあとも信長のもとへ毎日通い、濃姫とのあいだをなんとかつないでおこうとした。結果、彼女が濃姫代わりとなった。
 その侍女はこの時こう語った。
「帰蝶さまは御屋形(道三)さまより懐刀を賜ってございました。御屋形さまは『婿殿がろくな男でなかったら寝首を掻き切って来い』と仰せられましたが、帰蝶さまはご自分で死のうとなされたのでございましょう」
 15歳の信長の答えはこうだった。
「解らんでもないが、それでもあの罵詈(ばり)は許しがたい」