本能寺異聞 ~  信長時空(とき)を駈ける 司馬ごくたろう先生作

是非も無し。
この信長とあろうものが禿ねずみにしてやられたわい。
見れば肘に傷を負っている。
もはやこれまで。
「乱、火を放て。 この首、光秀にこのままくれてやるにはちとおしいでよ。」
言い放つと奥座敷へ進み行く。
「上様、お待ち下さい。 力丸、坊丸、ここは任せたに。 きゃつら一歩も奥へ入れんな。」
乱丸も信長に続く。

女たちが現れ、あるものは信長の肘の傷の手当をはじめ、あるものは返り血を拭う。
「そちたち、もうよいでよ。 急ぎ罷り出やぁせ。」
女たちをさがらす。
「上様。」
乱丸が脇差しをさし出す。 その手が微かに震えているのが見て取れる。
「乱。」
と、その時。

突風が突き抜ける。
轟音。
眩いばかりの閃光。
「な、なんじゃ。」
身体が宙に浮くのを感じた次の瞬間、深い奈落の底に突き落とされた。

信長 むむむ。
頭に痛みが走る。
まぶしい。
真昼のようだ。
はて。
どこじゃ。 ここは。
布団の上に寝かされているようじゃが、ちと違う。
見慣れぬ部屋じゃ。
畳の上ではない。 床の間のようだが妙に違和感がある。
そうだ。 布団にしては位置が高すぎる。
でも、まあよい。 これも心地よい。
だが、はて。
む。乱はどこじゃ。
光秀は。 本能寺はどうなったのじゃ。
イテテテ。 まだ痛みがある。 

「ああ、気づかれたようですね。」
「目が覚めましたか?」
どこからか声が掛かった。
いつの間にか二人の男たちが左右から見下ろしている。
妙な出で立ちだ。
バテレンの宣教師が着るような、それでいて白い異国の着物。
「そ、その方ら・・・。」
男たちははっきりとした、それでいてどこか違和感のある日本語で答えた。
「お気分はいかがですか。 ここは病院ですよ。 私は医師の小早川です。」
「私は吉川です。」
なに。
「も、毛利か!」
「いえいえ、違いますよ。 小早川です。」
「吉川です。」
「む。 だで、毛利ではないのんか。」
二人の男、小早川と吉川が顔を見合わせる。
「病院とか言ったな。 病院とはなんじゃ。」
「え。 病院とは怪我や病気を直すところですよ。」
「怪我? そうじゃ。 儂は肘を。」
「ああ。 無理しないで下さい。 怪我をなされたようですね。 大丈夫ですよ。たいした傷じゃありません。」
「どこで怪我されたか覚えてますか。 転んだときにすりむいたのかな?」
「どこ・・・そうじゃ。 本能寺じゃ。 本能寺はどうならぁした。 乱は。 光秀は。」
「まあまあ、落ち着いて。  本能寺。 お寺ですか。 どこの本能寺なんですか。」
「本能寺を知らんのきゃ。」
「えーと、あの本能寺ですか。 京都の。」
「そーじゃ。」
また、小早川と吉川が顔を見合わせた。
「あの。 まだお名前をお伺いしてませんでしたね。 何とおっしゃるんですか?」
「儂か。 信長じゃ。 織田信長じゃ。」
吉川がかすかにため息をついたのを信長は見逃さない。
こいつら、何者だ。
南蛮人のような出で立ちだが、明らかに日本人だ。
言葉使いに妙な訛がある。
毛利ではないというし。 北条か。 長宗我部か。 それとも島津か。
「わかりましたよ。」
小早川があやすようにいう。
「さぁ。 立てますか、織田さん。」
なんだ、さっきは無理するなと言って、もう立てか。
まあ、よい。
いつまでも寝てるわけにはいかぬ。
おや、おんなが(こいつもバテレンに似た白い服じゃ)椅子をもってきた。
「おお、こいつは知っとるでよ。 これは椅子じゃ。」
「そうですよ。 車椅子です。 歩けますか? 念のために車椅子に乗りましょうね。」
女が話しかけてくる。
おや。 この女、尼か。 髪を短く切っておる。 白い頭巾?も被っておるし。
まあ、よい。 座るのか。 おお。 この椅子、動くぞ。 これはよい。
女は村上と名乗った。 やはり毛利ではないのか。
村上・・・武吉の娘か、一族のおなごであろう。
女はこれから儂に付くという。 敵に側女をあてがわれるのか。
まあよい。 ならば儂がいい名を付けてやろう。
とっくり、しゃもじ、きゅうす・・・そうじゃ、いすじゃ。 おいすと付けてやろう。

おいすに案内させられたのは小さな部屋であった。
これまた分厚い布団が四枚敷いてあり、二人の爺さん、これは御伽衆か茶坊主か・・・がいた。
ひとりの爺さんは人なつっこく、もう一人の爺さんは壁に向かって一人でしゃべっている。
即座に儂は一人を懐阿弥、もう一人を壁阿弥と名付けた。
懐阿弥はいう。
「我輩は、ナポレオンだ。」
なぽれおん?
「ナポレオンを知らんの。 大フランス王国の皇帝やんか。」
おお、仏蘭西ならフロイスに聞いたことがある。 南蛮の国の一つじゃ。
しかし、懐阿弥はどこから見ても日本人だ。
壁阿弥は未だ壁に向かって喋り続けているので、懐阿弥が代わりに紹介する。
「あの爺さんは、徳川慶喜だと。」
慶喜。 徳川慶喜。 はて、家康にそんな息子おったのか。
「徳川慶喜を知らんのか。 幕府15代将軍を。」
「ふぁはははは。 たわけ。 家康は三河守じゃ。
将軍ではないでよ。 幕府? 足利幕府なんぞ儂がつぶしたのを知らんのきゃ。」
懐阿弥は聞いていない。
「でもな、やつな。 去年まで、自分は毛利元就やと言うっとたんや。
そいでな、一昨年までは秀吉だっちゅうとったんやで、笑うやろ。」
なんか、ちんぷんかんぷんだ。
懐阿弥がこちらを向く。
「ところで、あんさんは?」
「儂か。 儂は織田信長じゃ。」
「は。」
懐阿弥が大きくかぶりをふる。
そして、やや苦笑いを込めて肩に手をおいた。
「そや。 誰かて、最初はそう言うんや。」

「あたらしいクランケ、もうなじんでるようですね。」
医師の吉川が言う。
「まあ、似たもの同志気が合うのだろう。」
小早川がこたえた。
「しかし・・・最近多いですよね。」
「まあな。 暖かくなるとなぁ。 まだまだ増えるぞ。」
「でも、最近やけに多くないですか。 儂は信長っていうのが。」
「こういう世界にも流行があるのかもしれませんねぇ。」
病棟の廊下を歩く二人の医師の笑い声はもう信長の耳には届かなかった。 

                             (完)



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