講釈三郎物語(2)『天道おそろしく候』 司馬ごくたろう先生作

た、た、た、大変でございます。
大変なことが起きてしまいました。
何をそんなに慌てているのだと、お思いでしょう。
でも、こ、これを慌てずにはおられますまい。
なんと、喜六郎様が、喜六郎様がお亡くなりになられたのでございます。

え?
喜六郎様って誰だ?
な、何を申されます。
喜六郎様をご存じ無いとは!
もう、いいです。
そんなお人には、もう口も利きたくありません。
お話も、これでお終い。 聞かせてあげません。
え?
聞かなくてもいいって?
そ、それは困ります。
それでは身も蓋もないじゃありませんか。
そう仰らずに聞いて下さい。
ねっ。 ねっ、ねっ。

喜六郎様とは先代の大殿、備後守信秀様と土田御前様との間に生まれた御子にて秀孝様と申されます。
若殿信長様。
そう、われらが三郎殿と同腹の御舎弟であるのです。
大殿の御子様、姫様はみな美男美女揃い。
中でも喜六郎様は御膚は白粉の如く白く美しく、その柔らかなの唇は丹花の如く赤く、柔和なお姿はご兄弟の中随一の容顔美麗、眉目秀麗の御仁なり。
弓を射って良し、歌を詠んでよし。 御歳十五にて、家臣領民のアイドルなのでございます。
さて、その喜六郎様、如何にしてお亡くなりになられたのか。
かくの如しでございます。

春日井郡守山の庄にございます守山城。
今、このお城を守るのは先代様の御舎弟であります孫十郎様。
この孫十郎様は川遊びが大好きで、今日も若手の家臣共を引き連れて松川で川狩りに出ておりもうしたのでございます。
するとそこへ一人の武者が馬に乗ったまま通り過ぎようとしたそうでございます。
「何奴じゃ。」
誰かが罵り申したそうでございます。
それもそのはず、ご当地の領主様、しかも今をときめく尾張の雄、われらが三郎殿の叔父上にあたられる孫十郎様の御前を馬に乗ったまま通り過ぎようとしているのでございます。
本来ならば馬を降りて挨拶をし、下馬のまま通過するのが礼儀というもの。
「けしからん。」
孫十郎様の家臣の一人洲賀才蔵と申す物が弓をとり、えいっと馬上の武者に射掛けました。
狙うたのは武者の鼻先、ところが手元が狂うたか矢は深々と武者のこめかみへぐさり・・・。
「馬鹿者。 何も殺さずとも。」
孫十郎様は才蔵を一瞥しましたがそれ以上責める訳でもなく落馬したに歩み寄りました。
殺す気はなかったが死んでしもうた。
どこぞの郎党であろうがやっかいな事だわなも。
その程度に思うてらしたご様子でしたが、河原に横たわる武者の顔をみるなり、
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ。」
腰をぬかさんばかりに驚いたそうでございます。
横たわる武者のその死に顔は、年の頃なら十五、六。
白粉の如く白く美しくいお顔に、丹花の如く赤い口元、柔和な笑みを浮かべたお姿は、まぎれもなく孫十郎様の甥御にして、われらが三郎殿の愛弟、眉目秀麗の喜六郎様だったのでございますぅぅぅぅぅ。

「あっひゃゃゃゃゃゃ。」
孫十郎様は意味不明な寄生を発すると、馬に飛び乗りそのまま何処かへ駈けられて行ってしまわれたのこと。
残された家臣どもも呆然としておりましたが坂井孫平次が案で、とりあえず喜六郎様の亡骸を守山城にお移しになされましたのでございます。
城に戻ってみても孫十郎様の御姿はございません。
逐電なされたようでございます。
これには皆もこまりはて、守山城の宿老(おとな)どもは顔を突き合わせ思案いたしたそうです。
信長様のご気性だで、これは只ではすまんわな。
ひたすら謝るしかないじゃろ。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ジャンケンでもしたのかその役は犬飼内蔵が受けることになったのでございます。
全くそんな役まわりよ。 信長様に一刀両断にされるのがおちだな。
誰しもそう思うておりましたのでございます。
犬飼内蔵は三郎殿をお迎えするべく矢田の方へと、とぼとぼ歩いていったのでございます。
ところが。
真っ先にやってきたのは三郎殿ではなかったのです。
先に守山城へやってきたのは三郎殿のすぐ下の弟君、勘十郎様とその手勢だったのでございます。
勘十郎様は迎え出る守山城の宿老衆の言葉など聞く耳持たず、ひたすら孫十郎を出せの一点張り。
孫十郎様が既に逐電されたときくと城下に火を放ったのでございます。
その姿は、まるで鬼神の如く御父君備後守様を彷彿させたとのことでございます。
私、感動いたしました。
勘十郎様は穏和な性格でこれまで決して荒れる振る舞いをなされなかったのでございます。
ここだけのお話、私の弟である美作守などは三郎殿を御当主の座から引き下ろし、勘十郎様を新しい御当主に据えてはどうかなどと画策いたしておりますのです。
私ももちろん三郎殿にはほとほと手を焼いているのですが、かといって勘十郎様の柔和なご気性でははたしてこの家中をまとめていけるのかと危惧していたのでございます。
だから美作守の言を取り上げもせず諫めていたのですが、やはり蛙の子は蛙でございます。
勘十郎様も戦となれば鬼神となられるのでございます。
そのとき私の中にふつふつとなにやら頭をもたげてきた物があったのでございますが、この時にはそれが何の事やら私は気づかなかったのでございます。
そうそう、三郎殿といえば犬飼内蔵に説得されて一旦退いてしまいなされた。
まったく、おかしな事でございます。

やがて守山城の衆は城に籠もってしまいました。
岩崎から丹羽源六殿も応援に駆けつけ長期戦の構えでございます。
三郎殿は飯尾近江守殿、讃岐守殿、勘十郎様は柴田権六殿、津々木蔵人殿をそれぞれ大将に城を囲んだのでございますが城は堅固に守られ落ちる気配はありません。
当織田家は未だ周りを敵に囲まれたままでございます。
北は岩倉の織田伊勢守殿、もっと北には美濃の斎藤殿。
東は裏切り者の山口殿とその後ろにひかえる今川殿。
強敵ばかりでございます。
御領地内での争い事が長引けばつけ込まれるばかりでございます。

そこで佐久間信盛殿が講和の案を持ちかけました。
一、この度の責は孫十郎様ただ一人にあり、他に罪は問わぬ。
一、守山城は三郎殿弟君の安房守喜蔵信時様が預かる。 
一、喜蔵様は守山城の宿老衆を今後も宿老衆として重用する。
そして見事、これにてお手打ちとあいなったのでございます。
誠にめでたや。 めでたや。

私も居城たる那古屋城にもどり平和なひとときを取り戻すことができたのでございます。
ちなみにこの那古屋城は三郎殿がご幼少より育ったお城でございます。
この大手門で、この櫓で、この馬溜で幼い三郎殿(その頃は吉法師様とお呼びいたしておりましたが)を高い高い~と持ち上げていた思い出の場所なのでございます。
そしてこの搦め手は・・・高い高っっっ、あっ!・・・吉法師様を落としてしまった場所なのでございますが、あの、いや、あ、さ、三郎殿は覚えておいででございましょうか。
今でも思い出す度に背筋が凍る思いにございます。
そんな話はさておき、その那古屋城を三郎殿は私に譲ってくれたのでございます。
私、もう感激でございますぅ、ぅ、ぅ・・・ぐしゅん、ずーずー。
あ、いや、すみません。
また話がそれてしまいました。 戻します。

そんな折り、三郎殿が私のもとを訪れてくださったのでございます。
喜蔵様の守山城主就任のご挨拶のため御領地内をお二人でご挨拶に廻られているとのことでございました。
そんなこと、わざわざこの私めまでになさらなくても良いのに、律儀にいらっしゃるとは三郎殿。
佐渡は、私は、幸せ者にございますぅ、ぅ、ぅ・・・ぐしゅん、ずーずー。

どかどかどか。
さっそく三郎殿をおもてなそうと一張羅に着替え直していると美作守が血相を変えてやってきたのでございます。
おお、しかも傍らには柴田権六殿もお見えになるではありませぬか。
「兄者! うつけの殿がお見えになられているとは誠か。」
「おうさ。 今からおもてなしするところよ。」
「兄者、絶好のチャンスでございますぞ。」
「なんと。」
「うつけの殿のお供は喜蔵様のみにございます。 手勢はございません。」
「佐渡守殿、ここで一気に攻めかければ、かならず仕留められますぞ。」
なんと、わが弟たちはこれを絶好の機会と三郎殿の暗殺をたくらんでいたのでございます。
おお、南無八幡大菩薩。
確かに、またとない機会です。
誰も阻む者はございません。
の城は私のお城です。
この城の者達は私の指図ひとつで。
この城で・・・。
この城で・・・吉法師様が笑う、吉法師様が泣く、佐渡めがあやす。
吉法師様が遊ぶ。
吉法師様が走る。
吉法師様が跳ねる。
吉法師様が眠る。
だ、だめ!
だめでございます。
いけません。
なんと言っても三郎殿は主です。
私の主なのです。
そんな天道おそろしき事、出来ませぬ。
「兄者~っ!」
「佐渡殿、ご決断を。」
「兄者!」
だめです。
と、わたしはきっぱりと反対したのでございます。
しかし美作と権六殿は今にも刀を抜きそうな形相でにらみます。
「まぁ、待て。」
私は一案を出しました。
ここには喜蔵様がいらっしゃる。
三郎殿を斬るならば喜蔵様にも白刃が向けられる事態となってしまうに違いない。
喜蔵様は聡明なお方じゃ。 勘十郎様が御当主になられた暁にはよき右腕となられるであろう。
今、喜蔵様を傷つけてはそれも叶わぬ。
まして、先ごろ喜六郎様が亡くなられたばかりじゃ。
喜蔵様まで亡くなられたら勘十郎様も悲しむであろう。
「しかし・・・。」
と、ごねる美作を制して、私はこう申し上げましたのでございます。
「ぎりぎりまで待つのじゃ。
それまで屏風の後ろに隠れておれ。
私がこう額をぴしゃり!と叩いたらそれが合図じゃ。
一斉に斬りかかれ。
ただし、合図するまでは手出しはするな。」

私と三郎殿、喜蔵様との会見はほんのわずかな時間でございました。
三郎殿は笑っておっしゃいます。
「よいよい。 近くまで来たので懐かしくなって寄っただけじゃ。
それに喜蔵にも、この城を見せてやろうと思ってな。」
そうしておもむろに私の顔に手を寄せたのでございます。
あ、ああ、殿、昼間からそんな、な、な。
ところが三郎殿は急に険しい顔になり、こうおっしゃいました。
「お前、センスがないな。
少しは手直ししろよ。 もう古いんだよこんな屏風や襖絵は。
それになんだぁ、だっせぇなぁ、その袴。」
私の顔に寄せた手をそのまま持ち上げると、ぴしゃり!と額をたたいたのでございました。

唖然とする私めをよそに
「もう帰ろうぜ。」
の一言で三郎殿は喜蔵様といっしょに部屋を出ていきました。
古くさいといわれた屏風から顔を覗かせた美作に声を掛けられたことも覚えておりませぬ。
ふと、我に返ったときには三郎殿たちはもう城を出ておりました。

・・・・・。
この次は、必ず。

                               (完)



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