「戦国の時代へ・・・」第21話 湘南B作先生作

車が霧に迷い崖から転落するという、きっかけにより現代から永録元年(1558年)織田信長が今川義元を破る、桶狭間の戦いの2年前の世界へタイプスリップしてしまった中嶋太郎達一行(本間利和、沖芳子、望月美貴)、藤吉郎(のちの豊臣秀吉)は、偶然か何かの導きか織田信長と会うことができ、中嶋太郎、本間利和、沖芳子、望月美貴の4人は客人として、藤吉郎は草履とりとして信長に召し抱えられることになった。
その後、秀吉は出世しついに一国一城の城主となり、私達も蘭丸、坊丸、力丸の教育も行うことになり、忙しい日々が続いた。

長篠の合戦の合戦が終わると、私達は岐阜に戻って来ていた。
信長がもっとも恐れていた脅威、武田家に壊滅的打撃を与えた後、天下布武が現実のものとして見えてきた。
信長は上杉には、柴田勝家、毛利には秀吉というように家臣団に戦の支持を与えていった。
岐阜にいても、ねねに秀吉は長浜城、利家に松は府中城に向かいなんか静かに感じるようになって行った。
当然、町の賑わいは以前にも増している。
「しかし、岐阜も寂しくなったね。」と私が言うと、
「私がいうと、昔からの家臣はみんな地方に領国を貰ったからね。」と美貴も答えた。
「みんな集まるのは正月くらいやね。」と芳子が行った。
そのとき、利和がまたいきなり飛び込んできた。
「凄い情報、仕入れちゃった。
まだ、極秘なんだけど。」ともったいぶりながら言った。
「なんかあったの?」
私が聞くと、
「信ちゃんが新しい城を建てるんだよ。
それが、設計図を見せてもらったんだけど、もの凄い城なの?
もう、たまげるよ。」
利和はかなり興奮していた。
「安土城か」
私が言った。
「でも、この目で安土が見えるなんて・・・。
夢のようね。」
美貴もかなり期待しているようだった。
「安土城が出来るとなると、蘭丸も信長様に返さなければならないな。
寂しいけど、仕方ないか。」
信長には、安土城下には美貴の洋服屋を作ることをもちろん許可してくれた。
さらに、安土には南蛮寺(教会)もつくり南蛮人も呼び寄せるために洋服屋も忙しくなるということも言った。
美貴はその日から、安土での洋服屋開業の準備。
芳子は蘭丸達の教育の総仕上げ。
利和は、秀吉の長浜、利家の府中、明智光秀の坂本など色々なところに行っては情報を収集していた。
私は信長のそばにいて安土城の設計などを一緒に見ていた。
信長、家臣団、私達ともに忙しい日が続いていった。
そうこうしているうちに時がたち、私達も安土城に移る日が来た。
利和は長浜より一足先に安土に行っているという話しだったので、私と美貴、芳子の三人で安土に向かった。
蘭丸、坊丸、力丸の三人はすでに信長のもとに行っていた。
私達が安土城下に与えられた洋服屋につくと、いくつもの高価なものが並んでいた。
「利和、これ高かったんだろう。
どうしたんだ。」
私が聞くと、
「信ちゃんに安土城完成のお祝いを渡さなきゃいけないかいから、苦労して調達したんだよ。
あと、利家とおまつさんの豪姫をさるとねねっちの養女にしたって話をきいたから、それのお祝いもあるよ。
おらなんか四人からって渡すから。」
と利和は答えた。
「それで、この大きな石は?」
私が続けて聞いた。
「そうそう、どの石が一番いいかな?」
利和が大きな石をいくつか見せた。
「信ちゃんに、安土に立てる寺の御神体にするから、形のいい石を探してこいと言われたんだ。」
それには、私達もびっくりした。
安土に寺を建てて、こんな私達が単純に選んだ石を信長は天下の人に拝ませるというのだ。」
名目は信長を神として拝めということらしい。
信長としては一向宗など宗教の力にはかなり苦しめられたので、それに対抗する意味でも自分で宗教を作りたかったという部分もあったのかもしれない。
また、キリストも今思えば自分で神といった人、その辺の影響も受けたのかも知れない。
そのとき、外で銃声のようなものがした。
私達が外に出ると、日がくれかかったところに松明の光で浮かび上がった安土城の天主。
そして、鉄砲の祝砲。
なんともいえない、現代でも見たことのない美しい光景がそこにあった。
現代から来たの私達でさえ驚く美しさ、まさに幻の名城であった。



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