三國志VII 奮闘記 12

 

少年は、呆然と立ち尽くしていた。
目の前にはもの言わぬ母親の屍が横たわっている。
怒りと嘆きに身を打ち震わせ、少年は大声を上げて泣いた。
そして、何かを決意したように顔を上げると、武器を取って駆け出していった。



216年-7月

「これより楚へ侵攻を開始する!我に続け!」
強い日射しが照りつける中、
は全軍に号令した。
「応ー!!」
総勢30万の大軍が、あるいは陸路から、あるいは水路から、
続々と北へ攻め上ってゆく。
江夏のわが軍本隊と柴桑の
上総介(かずさのすけ)軍は廬江へ、
建安の
加礼王(かれいおう)は会稽へ。(地図

数カ月前、孫策軍は何度となくわが国へ侵攻して来た。
わが軍はそれを迎え撃ち、何度となく撃退した。
しかし度重なる戦で主だった将らも討ち死にするなど、こちらの損害も大きかった。
しかも先頃、捕虜となったわが軍の将・蒋幹、霍峻を、
孫策はまるで虫けらを扱うがごとく殺してしまった。

怒りに燃えるわが軍の将は、ことごとく楚王・孫策への報復を望み、
楚への侵攻を進言した。
「孫策と決着をつけるのは今ですぞ」
強い口調で進言する
於我(おが)の言葉に大きくうなずき、
私は大軍を国境付近に集結させたのである。

敵は、陸軍は都督の魯粛、水軍は副都督・陸遜といった名将が
指揮をとっているようだが、大将の孫策は出陣していないようである。
反撃はすさまじかったが、勢いに乗るわが軍は次々と楚軍の砦を落としていった。
長江の戦いでは陸遜の巧みな軍略に大苦戦を強いられ、
度々後退させられたが、数で勝るわが軍は大艦隊で波状攻撃をしかけ、
楚軍を次第に撃ち減らしていった。

東では、早くも加礼王、孟獲、祝融らが馬良の軍を破り、
会稽を攻略したという報告が入った。
わが軍はそれに勢いを得て、一気に魯粛、陸遜らを攻め立て、
柴桑を奪取した。
そして、そのまま休む間もなく建業に攻め入った。

「敵があっけないのか、わが軍が強すぎるのか…」
「がははは、両方に間違いあるまい」
幽壱(ゆうわん)のつぶやきに、於我(おが)が得意顔で答えている。
その夜、私の幕中では軍議が開かれていた。
少し間を置き
諸葛靖(しょかつせい)が、
「しかし気になるのは、孫策が姿を現わさぬことですね」と言った。
「そういえば、孫策の旗は、この戦いで一度も見かけませんでしたね」
紺碧空(こんぺきくう)も虎の毛皮を撫でながら、いぶかしげに言う。
「わが軍の強さに恐れをなして逃げているのだろう」
紋次郎(もんじろう)の言葉に、於我も満足げにうなずく。
「そなたらはまったく楽天家だのう…」
幽壱があきれ顔でいう。
「殿、建業には黄忠という猛将がいるとか。
 これに陸遜らの知略が加われば、手強いですね」
上総介があわてて、その場の話題を変える。しかし、
「黄忠だろうと何だろうと、わしが叩きのめしてやる」
「そなたはムラっ気がありますからなあ…甘寧殿がここにいれば心強いのだが」
太郎丸(たろうまる)が、鼻息を荒くする紋次郎を見て言う。
「ふん、見ておれ、甘寧殿がいなくても、
 明日は必ず黄忠をひっとらえてやるわ!」
「いやいや、黄忠といえば稀代の名将、貴殿1人では無理だろう」
…於我、紋次郎、太郎丸、幽壱の口論は深夜にまで及んだ。

翌日、わが軍は建業の城下へ迫った。
城は非常に堅固で、守る兵らも手強かった。
「それなるは名のある敵将とお見受けする!いざ勝負!」
数十人のわが軍の兵士を巨大な薙刀で斬りふせ、呼ばわった老将がいる。
呼び掛けられたのは於我であった。
「黄忠殿とお見受けいたす!わが名は於我、いざ!」
於我は果敢に挑みかかった。
しかし、さすがに黄忠は並の腕前ではなく、於我の槍を涼し気に受け流している。
於我もまた、黄忠の攻撃をよく凌いでいた。
しかし、黄忠の猛攻の前に於我は疲労を隠せず、
決着は時間の問題と思われた。
劣勢を見かねてか、そこへ幽壱が助太刀に入った。
「我こそ哲坊軍の幽壱なり!」
だが、2人を相手にしても黄忠の切っ先は乱れなかった。
黄忠は2人に、まるで稽古をつけるかのように楽しんでいるように見える。
於我、幽壱は黄忠の薙刀をどうにかしのいでいる、という形だ。
闘いは果てしなく続くと思われた。

そこへ、西から紋次郎、東から太郎丸が突っ込んできて、黄忠を取り囲んだ。
わが軍の新・四天王
(もとは於我、紋次郎、太郎丸、餡梨がそう呼ばれたが、
餡梨がいなくなってからは幽壱がその称号を得た)
に取り囲まれては、
さすがの黄忠も苦戦に陥り、大いに彼らをてこずらせた挙句、ついに虜になった。
黄忠を捕らえたとはいえ、城の守りはゆるぎない。
その後、わが軍は何度か城に攻撃をしかけたが、いずれも失敗に終わった。

「正面から攻めるだけでは落とすのは無理なようです。
 ここは、水攻めを仕掛けましょう」
諸葛靖が進言した。
「水攻めか。どうするのだ?」
「雨を待ち、水量の多くなった川をせき止め、建業城へその水を流すのです」
「よし。やってみる価値はあるな」
「紺碧空殿と、幽壱殿が水攻めを得意としています。彼らに任せましょう」
上総介の進めに従い、早速2人を呼んで取り掛からせた。
わが軍は陣を後退させ、雨を待った。
私は久々に天文の才を発揮し、雨の降る日を測った。
どうやら半月ほどは、辛抱しなくてはならないようだ。
兵糧が持つかどうかが心配なので、荊州からの補給路も確保する。

やがて、雨が降りはじめた。
連日続いた晴天から一転、激しい豪雨となった。
川の水量が見る見るうちに増し、わが軍は一斉に堰を切った。
掘り進めておいた水路に沿って、
大量の水がどっと建業城へ流れてゆく。
わが軍は城を遠巻きに取り囲み、長期戦に備えた。

やがて…
1月もしないうちに、城からは脱走者が続出した。
私は、何度となく降伏を呼び掛けた。
すると、城内から白旗が掲げられ、小舟が出てきた。
そこに座っているのは、指揮官の陸遜と顧雍であった。

「黄忠殿を捕らえられ、城をこうも厚く囲まれては、わが軍の負けだ。
 兵らの命だけは助けてやってほしい」
陸遜は潔く言った。
仕官をすすめると、彼等は一様に首を横にふった。
「わが主君は孫王だけと決めている。早くこの首を打たれよ」
私は、陸遜と顧雍の顔を見据えつつ、縄を解くように命じた。
「陸遜殿、もう一戦しよう」
陸遜らは戸惑いの表情を浮かべていたが、馬を与えると、
「哲坊殿、次こそは勝たせてもらうぞ!」
晴れやかに言い残し、顧雍とともに去っていった。
家臣らは、こういうときの私を止めるのは無駄だと悟ったようで、
誰も彼らを邪魔立てすることなく逃がした。

そして、黄忠が引かれてきた。
「黄忠殿はどうされる?」
私は彼の縄を解かせた上で尋ねた。
「ふふ、4人がかりとは卑怯だが、なかなか骨のある奴らじゃった。
 こうなったのも何かの縁、わしが稽古をつけてやるかのう。
 ただし、城内に残っている男たちも一緒に面倒を見てやってくださらんか」
黄忠は言った。
城内には、
セバス雨山、郭攸之といった男達が、
何百人かの兵らとともに残っていた。
「今後ともよろしくお願いしますぜ。へへ。」
セバスという長身の男が言った。
セバス、雨山は義兄弟の間柄で、かつて盗賊の頭目をしており、
足を洗って曹操軍に入ったものの、そこで不祥事を起こして逃げ出し、
孫策に仕えていたらしい。
雨山は歌が得意なだけで武芸はさっぱりだが、兄貴分セバスの方は
身のこなしが軽く、まずまずの腕を持っているようだった。
私は、その3人と、黄忠らの仕官を喜んで受け入れた。
黄忠の武勇に惚れ込んだか、紋次郎、於我らも、口々に喜びの言葉を発した。

217年-2月

水を抜き、整備を終えた建業には上総介、紋次郎、太郎丸を残し、
私は江夏へ戻った。すると、
「会稽の加礼王軍がさらに北上、呉を攻め落とした由!」と伝令が入った。
加礼王軍には、そこまでの指令は与えていなかったが…?
「呉が手薄と見て、攻め込んだのでしょう」
留守を守っていた許西夏が言った。

ともかく、わが軍はこの1年で揚州の大部分を制圧したのである。
孫策が未だ陣頭に姿を現わさないのが気にはなったが、
私は一気に揚州への侵攻を進めることにした。

猛将15傑  知将15傑(ともに216年現在)

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