三國志VII 奮闘記 15

 

「この莫迦ものめが!」
紗弥は、父に殴打された。
しかし、その目には後悔の色はまったく浮かんでいなかった。
「狗奴
(くな)国の男と交わっただと!?そのような子を産むと申すか!!」
あれから時が経ち、紗弥
(さや)は子を孕んでいた。
「やめてください」
母が、必死に父の手を抑える。
「紗弥は、その男に助けられたというではありませんか!」
「ううむ……しかし、その子を産み育てることは、我ら一族の面汚しとなろう」
「その子を、族長
(おさ)に預けられては如何でしょう?」
「ふむ。長の判断を仰ぐとするか」

「よろしい。紗弥とその子を預かることにしよう。
 ただし…生まれ来るその子に、わが真田一族の戦士としての才覚があれば、だが」
族長は言った。かくして、紗弥は族長の住居に預けられた。
1年後、子が生まれた。
名前は紗弥の希望で幸村
(ゆきむら)と名付けられた。
紗弥は生家に帰り、母子は離ればなれになった。
一族の掟として、男子は3歳になると、修行の道に入るためである。

数年後、戦士としての類い稀な素質を認められた幸村は、
正式に真田一族の養子に迎え入れられた。
ただし、幸村が紗弥のもとに帰ることはなかった。
族長は、幸村をかわいがり、腹心の部下の養子としたのである。



219年-7月

北方は夏を迎えても、時折まだ肌寒い風が吹いていた。
楽浪を平定した
は、諸葛靖(しょかつせい)上総介(かずさのすけ)
紋次郎(もんじろう)太郎丸(たろうまる)セバス、程普、甘寧、
凌操、凌統らとともに10万の兵を率いて西の襄平を攻めていた。

敵軍は、強兵として知られる呂布軍であったが、
わが精鋭が力押しに攻めると、意外なほど脆かった。
敵将は、先の戦で上総介の計略にはまり後退した
びーさるをはじめ、
双刀を使いこなす
荒賢(こうけん)伯虎(たけとら)髭鏡(しきょう)
倫直、陳震といった、南方ではあまり知られていない武将らであった。
わが軍は襄平の城に迫り、総攻撃を仕掛け、ほとんど被害を被ることなく
半月あまりでこれを攻め落とした。
敵将らはことごとく逃げ散った。

「北方の騎馬軍団は精強と聞いていたが…」
「これなら、まだしも西涼の馬騰軍の方が歯応えがあったわい」
城内の休憩室で紋次郎、太郎丸が話していた。
書類整理などの執務を終えた私も、その傍らに腰を下ろした。
「呂布も、孫策のように病死でもしてくれると助かるんだがな」
「ハハハ、そう うまくはいきますまい」

「いえ、呂布軍の怖さはこんなものではない筈です」
上総介だった。
「確かに呂布のいない彼等など、わが軍の敵ではないでしょう。
 しかし、彼らは、呂布自らが戦場に出ると通常の倍、
 いや3倍は力を発揮すると聞きます。油断はできません」
老将・程普がその後を受け、
「さよう、呂布軍で一番恐ろしいのは、呂布本人はもちろん、
 その回りを固める直属の騎兵団といわれております。
 兵ひとりひとり取ってみても、並の雑兵とは違い、
 かなりの腕前を持っておるようです」
と説明した。
「窮鼠 猫を噛むと申します。いえ、鼠というより手負いの虎でしょうか…
 とにかく、ここまで追い詰められた彼等は、
 死にもの狂いで反撃してくるかもしれませんね…」
諸葛靖の言葉に、一堂はすっかり声を失ってしまった。
しばしののち、紋次郎が
「こら各々方、我らも精鋭。相手が強ければ強いほど、
 戦い甲斐もあるというものじゃ!」
と啖呵を切った。
それを聞き、ようやく座の空気がほぐれた。

翌日、西方におびただしいほどの砂塵が舞っている、という報告が入った。
「来たか…」
私は、城内よりその様を眺めながら呟いた。
「よし。合戦の準備!」
敵軍は5万だが、ほとんどが騎兵で組織されていた。
対するわが軍は10万の兵をもって、襄平の国境付近にて呂布軍を迎え撃った。
先鋒はわが軍が紋次郎、敵軍が
伯虎(たけとら)であった。
先鋒同士がぶつかると、紋次郎が前に出て呼ばわった。
「わしは哲坊軍四天王筆頭格の紋次郎なりい!
 勇気ある奴は勝負しろ!」
「おお、我こそは河北に名を馳せた沮授が息子、伯虎!」
紋次郎は得意の青龍刀を振りまわし、雑兵数名を薙ぎ払い、
伯虎と名乗った敵将に挑みかかった。
両翼も動いた。
太郎丸隊は
荒賢(こうけん)隊と、セバス隊は髭鏡(しきょう)隊と、
上総介隊はびーさる隊と、それぞれ激しく激突した。
敵軍は、先日とは比較にならぬほどの善戦を見せていた。
いや、それどころかむしろわが軍が押されているように見えた。
「やはり呂布自らが指揮していると違うものだな…」

気がつくと、太郎丸隊が深入りし、敵軍後詰めの伊那猫(いなねこ)
陳震隊にすっかり取り囲まれてしまっていた。
太郎丸は、それと気付かずに荒賢と打ち合っている。
「いかん!太郎丸隊を援護せよ!」
私は凌操を応援に差し向けた。
太郎丸は、周りにほとんど味方の兵がいなくなっていることに気付き、
慌てて馬を返した。しかし、そこを伊那猫の兵に阻まれ、
荒賢の刀の一撃を腿に受けてひるんだところを、捕縛された。
「しまった…!」
私は、太郎丸が縄をかけられて敵陣に曳かれて行くのを
何も出来ずに見ているしかなかった。
前方に目をやると、紋次郎はまだ伯虎と打ち合っていた。
一進一退の好勝負のようだった。
上総介は、逃げ惑うびーさるを追いかけている。
太郎丸隊は壊滅したが、数で上回るわが軍はよく防戦していた。

と、左翼で太郎丸隊に代わって奮戦していた凌操隊が突如乱れ始めた。
前線に出ていた兵らが次々と倒れてゆく。
凌操隊は早くも浮き足立ち、左右に分断された。
その真ん中を、恐ろしいまでの速度で、まっしぐらに突き進んでくる一団がある。
一団は、えらく屈強な兵らで構成されているようだった。

「呂布!!」

私は唖然として、凌操の兵らが
稲穂のごとく切り倒されていくのをただ眺めていた。
「うわぁ、呂布だ!」
「りょ、呂布だと!?」
「呂布の騎兵団が来たぁ!!」
凌操の兵は相手が呂布本隊と知ると、すっかり戦意を喪失し、混乱に陥った。
「呂布何するものぞ!立ち向かえ!!」
凌操は必死に体勢を立て直そうと叫んでいたが、
しかし、呂布の兵は立ちふさがる兵らを容赦なく斬りまくる。
やがて、髭鏡隊を退けたセバス隊が、応援に駆け付けた。
が、セバスの兵らもたちまち蹴散らされ、
騎兵団の圧倒的な強さに怖じ気付き、散り散りとなった。
セバスも敵兵に斬りつけられて深手を負い、兵らに助けられて
自陣に担ぎ込まれていった。
たった数百だろうか、呂布の軍勢は、ほとんどその数を減らすことなく進軍してくる。
それはまさに、巨大な一本の矢が、正確な直線を描いて
私に向けて迫って来るかのようであった。

「!」
その矢の中心に、黄金の甲冑をまとい、
身じろぎもせず馬にまたがった大男がいるのを認めた。
「あれが飛将・呂布…」

突然、わが軍中から、その行く手に立ちふさがった者があった。
古豪・凌操であった。
「このままむざむざと通すものかぁ!」
自分の兵のほとんどを討たれ、その声は怒りに震えていた。
凌操は、軍馬の中心目掛けて突き進んだ。
軍馬の群れがさっと、割れた。
凌操の姿は、たちまち騎馬兵の波に呑まれ、やがて沈んだ。
騎兵団は何事も無かったかのように進軍している。

「おのれーっ!!」
凌操の姿が見えなくなると、わが軍の新手が数百騎立ちふさがった。
「俺は凌統!!父の仇ぃ!」
猛将・凌操の息子で、父以上の腕前を持つ武人である。
凌統は、突撃した。

と、騎兵団の中心から、先刻の大男が先頭に進み出た。
巨大な方天画戟を携えた偉丈夫――。
間違いなく呂布その人であろう…。
しかし、私は目を疑った。
呂布は齢60を超えた老将のはずだが、
その姿は老いをまったく感じさせぬ武者ぶりなのであった。

凌統は、相手が呂布と知ってか知らずか、ためらわずに突っ込んでいった。
「うおおおおお!」
呂布は声をあげる様子もなく、凌統とすれ違いざま、方天画戟をさっと横に払った。

ドンッ!

一合と打ち合わずに、凌統の体は胴から真っ二つに離れて転がった。
あまりにあっけない大将の死に、凌統の兵らは呆然と立ち尽くしている。

「ああっ…!」
「義兄!ここは一時撤退を!!」
諸葛靖が蒼白な顔で告げる。
「くっ…無念だ」
呂布隊の勢いは凄まじく、わが軍を追撃して蹂躙し尽くした。
敵軍は、すぐ後ろまで迫って来ている。
さらに、前方には張遼の軍勢が回り込んでいた。
「哲坊殿!ここは我々に任せて、城までお退きください!」
甘寧、程普らがそう言って、敵を食い止めに向かった。
私は、やむなく諸葛靖らとともに城を目指して走った。

敵の追撃は執拗だった。
我々は、道中さんざん追いまくられ、打ち減らされた挙句、
命からがら襄平城付近へ辿りついた。
周りを見回すと、わずか数騎の兵しか残っていなかった。
一緒だったはずの諸葛靖ともはぐれてしまっていた。
「ああ…惨めなり…」
さすがに、ここまでは敵も追っては来ないようであったが、
愛馬・的盧も疲れ果て、足どりが重い。

突然、東から無数の軍馬がどっと現れ、こちらに向かってきた。
「ああ…」
「もう駄目だ」
兵らが、口々に弱音を吐いた。
「皆、覚悟は良いな。死す時は潔くせよ」
「こ、心得ました。…ん?ご主君、あれは…」
「うん?」
その軍勢は、北方の軍装ではなく、見覚えのある旗を掲げていた。
於我(おが)様の軍勢です!それに、幽壱(ゆうわん)様も!」
「おお…!」

「ご主君?ご主君か!!」
先頭の於我が、私を認めると馬を下りて走り寄って来た。
「どうなさったのです?」
私は、戦闘の経過を説明した。
「…そうですか。ひとまず、城へ入りましょう」
一時は反目した於我らであったが、
やはり心配になり、海を渡って来たのだという。
私は、これほど味方が心強いと思ったことはなかった。

私と数人の兵は、於我、幽壱軍とともに、襄平城へ向かった。
城には、すでに生き残りの兵ら数百人が辿りついていた。
諸葛靖、紋次郎、甘寧らは無事であった。
「か、上総介は?」
「それが…兵らによると、びーさる軍に捕らわれた由…」
紋次郎が無念そうに伝えた。
程普の姿もなかった。
重傷を負っていた甘寧が、説明した。
甘寧、程普は、2人がかりで呂布に挑んだが、
程普は数合で方天画戟の餌食となり、甘寧はたちまち
腕を傷つけられ、兵らに救われて命からがら逃げて来たのだという。
「程普殿が…討たれたのか…」
「なんという奴だ。甘寧殿でも歯が立たぬとは…」
将兵らは口々に無念を訴えた。

結局、太郎丸、上総介は捕虜となり、凌操・凌統親子と程普が戦死、
兵の8割を失うという、信じがたい大敗北を喫したのである。

蔡援紀(さいえんき)ではないか!」
於我が伴ってきた女を見て、私は驚いた。
於我軍の中には、先の戦でついに捕虜とした蔡援紀がいたのである。
「今まで、申し訳ありませんでした。今後はわたくしも、
 哲坊軍の一員として戦場に出してくださいませ」
「おお、よくぞ決心してくれたのう…」
私は蔡援紀の仕官を正式に受け入れた。
「しかし、何故私に降る気になったのだ?」
「それは…また後ほどお話いたします」

楽浪には幸い、5万の守備兵を残しておいたので、援軍の於我、幽壱の兵、
先の戦の生き残りの兵を合わせれば、10万近い兵が集まったことになる。
翌日から呂布軍は、続けざまに攻撃を仕掛けてきたが、
呂布本隊は北平に引き揚げたようで、本腰を入れて攻めては来なかった。
呂布軍の背後には、劉備、曹操という強国がいる。
わが軍にだけ構っているわけにはいかないのであろう。

220年-1月

また年が明けた。
敗戦の傷もどうにか癒え、わが軍は再び軍備を増強していた。
しかし、呂布軍の強さを嫌というほど思い知らされたわが軍は、
なかなか行動を起こせずにいたのである。
そこへ、揚州から情報が入った。
献帝を擁している曹操は、先年、丞相に任じられていたが、
この年明け早々、重臣・程イクの臨終の言葉に従い、
国号を「魏」として献帝にも認めさせ、「魏公」を名乗ったというのである。
これで、魏の曹操は「公」、
楚の孫権は「王」、
韓の劉備は「皇帝」を名乗った。
三国の主は、それぞれの目指すままに自らを称したのである。
呂布も、燕王を名乗ったようではあるが、
正式に国として機能しているかどうかは怪しいものがある。

「義兄は、今後も無冠のままで通すのですか?」
諸葛靖が、年賀の宴の席で尋ねた。
重臣の何人かも、興味を持ったのか、こちらを振り向いた。
「そうだな。献帝にも、漢にも取り入ろうとは思わん。
 官爵などは、乱世にあっては飾りもので、人間の価値をあらわすものではない。
 氏素性もはっきりしない私だ。無冠の王と呼ばれているほうが
 似合っていると思わんか?」
重臣らは、神妙な面持ちで頷いている。
「確かに官爵が欲しければ、我らは曹操に降っているでしょう」
幽壱が言う。
「はっきり言うではないか」
皆は笑った。
昔、天下を治める者として、民を従わせるには官爵は形として必要だと、
軍師の法正らに説かれたことがあったが、私は頑として拒んだ経緯があった。
一部の家臣や、敵国の人間は、私のことを
「朝廷をないがしろにする暴君」、
「出自不明の馬の骨」、
民は、「無冠の王」などと称しているようであった。
私は、それらをごく自然に受け止めつつ、ここまで来た。
始めは服さなかった家臣もいたが、私が戦争に勝ち、名を挙げることで、
認めざるを得なくなったのではないかと思っている。

それはさておき…
春になるや、呂布軍と劉備軍が、北平にて激突したという報が入った。
それより数日前、劉備の軍師・諸葛亮から、
私に援軍を求める書簡が届いていた。
「ご主君。これは願ってもない好機。呂布を討つには、
 わが軍だけでは難しいでしょう」
重臣らは、諸葛亮の書簡に心を動かした。
「うむ…。それに上総介、太郎丸を助けねばならん」
私は立ち上がり、北平に向けて兵を起こした。
今度は負けるものか…!

 

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