三國志VII 奮闘記 4

 

苦戦の末、長沙、江陵を奪取し、その勢力を増やした哲坊軍。
当面の目標である荊州南部の制覇まであと一歩…。


 


204年-2月

江陵を奪い、劉表領を南北に分断してやった。
武陵は孤立無援となり、わが手中にあるも同然だ。
は近いうちに兵を挙げることを期しつつ、兵馬の訓練に勤しんでいた。

そこへ、紺碧空(こんぺきくう)が息せき切って、駆けて来て告げた。
「殿!襄陽が曹操の大軍に攻められ、陥落!
 劉表は曹操に捕らえられ、斬られた、との知らせがっ!」
「何っ!」
私は、調練の手を止め、襄陽の方向を見やった。
「あの曹操が、ついにこの荊州まで迫ったか…」
傍らにいた
於我(おが)も呆然としてつぶやいた。

劉表の跡を継いだのは、我等が狙っている武陵の太守であり、
劉表の嫡男である、劉キであった。
私は、江陵の劉巴に、曹操軍に対する警戒を怠らぬよう、
軍備の増強を命じると、引き続いて武陵攻めの準備を進めた。
まずは武陵を奪い、荊南(荊州南部)の地盤を固めるのが先決だ。

数日後。
私は於我、
太郎丸(たろうまる)、甘寧、参軍として諸葛靖(しょかつせい)を連れ、
兵8万を率い、武陵へ侵攻を開始した。
守るは、大将の劉キ以下、霍峻
(かくしゅん)、韓嵩(かんすう)、劉ソウ、
鞏志
(きょうし)ら率いる6万の兵。
順調に攻撃をしかけた我々であったが、突如、行く手に新たな軍勢が現れた。
劉璋領・永安からの援軍3万である。率いるは、
上総介(かずさのすけ・通称 おめぐ)
黄権、王累。
劉キは、密かに劉璋と手を結んでいたようである。
これにより、数の上で、わが軍は劣勢に立たされてしまった。

だが甘寧、於我、太郎丸は果敢に進撃し、応戦に出た劉キ軍、劉璋軍を
押しまくる戦いを見せた。敵軍の包囲も厳しかったが、総大将の劉キ隊を見つけるや、
甘寧と於我がこれを集中攻撃。戦不得手なリュウキの部隊は、
次々とその数を減らしていった。時に、於我が上総介の巧妙な策略に引っ掛かり、
足止めをくらったが、代わって太郎丸が劉キ隊に横あいから突撃。
一気に本陣に迫ると、狼狽する劉キを捕らえた。
総大将を捕らえるや、戦意喪失した劉キ軍は次々と崩れ、
四分五裂となって逃げ散った。劉璋軍の上総介、黄権らは、
劉キの腑甲斐無さに呆れ果てたか、永安へと兵を退いた。
我が軍は、ついに武陵を奪取することに成功したのである。

捕虜となった武将のうち、霍峻、鞏志を配下とし、仕官を拒んだ韓嵩を斬った。
劉キ、劉ソウの兄弟が引き据えられてきた。劉キとは、何度か戦場で相まみえており、
捕らえたのは、これで2度目である。
劉キは、おびえた小動物のような目で、私の顔をちらと見たが、
あとは、ただうつむいている。
「逃がしてやれ」
私はそう命じ、兄弟を解き放った。
彼等は、今や残り少なくなったの領土のうち、北の上庸へと逃れていった。

武陵を得たことで、念願の荊州南部を全て手中におさめることができた私は、
諸将の労をねぎらうべく、盛大なる宴を催した。
そこへ、南の大国の主、士燮が自ら訪れて来た。
「哲坊殿。今後とも、我々はよしみを通じましょうぞ」と
同盟期間の延長を求めてきたのであった。
士燮本人のたっての申し出に、私は快諾した。
しかし、私は、いつかはこの士燮とも雌雄を決しなければならないと覚悟を決めていた。

宴の翌日…。私は主だった者を城内に集め、軍議の間にて評定を催した。
「わが軍は、今や荊南を手中におさめた。しかし、問題はこの先である。
 北は曹操、西は劉璋、東は孫策、南は士燮といった強国が待ち構えておる。
 そこで、貴殿らの存念を聞かせてくれ。
 わが軍は、何処の方面に兵を向けるがよいか!?」
私は、
地図を指差し、こう切り出した。
一番に口を開いたのは諸葛靖である。
「義兄、西の劉璋を攻めてはどうでしょう?巴蜀は天賦の地と申します。
 そして、先の戦でわが軍を苦しめた上総介を我が軍に引き入れてはいかがかと」
そこへ、新参者の霍峻が、異論を唱えた。
「いえ、東の孫策をまず討ちましょう。かの地は人材の宝庫ゆえ、
 後に廻すと勇将、智将が敵になり難攻不落になる可能性がありますゆえ、
 ここは同盟を破棄して…」
言い終わらぬうちに、於我が、
「やはり、後顧の憂いを絶つため士燮を攻めるべきです。
 その後、劉璋の治める蜀を奪り、さらに東呉へ攻め入るが吉と存ずる」と差し挟んだ。
すると、司馬徽が髭をなでながら、
「於我殿。南の交州は、土地は貧弱で、奪ってもさしたる利はない。
 おまけに南の士燮殿とは現在、同盟を結んでいるのみならず、
 関係はすこぶる良好じゃ。いつかは叩くべきと心得るが、
 まだその時ではあるまい。」
知恵者・司馬徽にたしなめられると、於我は言葉が浮かばず、押し黙ってしまった。
西か、東か…。巡って軍議は夕刻まで続いたが、結局、結論は出ずに終わった。

数日後。
「西涼の馬騰軍が、漢中に続き、
 梓潼、江州をも相次いで攻め落としたようでござる!」
太郎丸がやってきて、こう告げた。
私は、昼食の手を休めた。
馬騰といえば、先頃、張魯を滅ぼし、急激に力をつけた勢力と聞く。
しかし、我が国とは距離も遠く、これまで意識したことはなかったのだ。
その馬騰が、蜀の劉璋の城を瞬く間に3つも奪取したのだという。
我が国とは、永安を挟んで対峙した形となった。
馬騰は、西涼出身の強力な騎馬軍団をうち揃え、配下には万夫不当の猛将・馬超以下、
ホウ徳、徐晃、
紋次郎(もんじろう・通称 木枯)といった
勇猛な武将を数多く抱えているという。
私の腹は決まった。馬騰との争いで、劉璋軍は疲弊しているはずだ。
南の士燮、東の孫策とはこれまで通り手を結び、劉璋を叩く以外にない。
早速、この旨を全軍に下知し、武陵の開発とともに永安攻めの準備を進めることにした。

夏になった。
私は、武陵郊外で、於我とともに狩猟を楽しんでいた。
やがて森林の奥深くで、於我とはぐれてしまった。
半刻ほど探しまわったが、見つからない。
そこへ、草叢から飛び出してきたものがある。
「と、虎だ!」
私は、馬のたづなを引っ張り、きびすを返して逃げ出そうとした。
しかし、虎は素早く後ろへ回り、低いうなり声を上げた。
どうやら、逃がしてくれないらしい。
幸いなことに、虎はまだ成長しきっていない若虎のようで、
武器を用いればなんとか退治できるかもしれない。
私は覚悟を決め、槍を構えた。
「グルルルル…」
虎は、私めがけて飛びついてきた。馬が走り出す。
振り落とされたらおしまいである。
私は、馬上から槍を旋回させ、虎の出ばなを挫いた。
最初の攻撃にこそ失敗した虎であったが、つづけざま、攻撃を仕掛けてきた。
鋭い爪が、私の腕をかすめた。愛馬の走る速度が増した。虎はまだ追い掛けてくる。
虎は、私の背後に回り、左後方から飛びついてきた。
「ぐっ!」
私は、左肩に鋭い激痛を覚えた。虎に食い付かれたのだ。
虎の体重を支えきれず、私は手綱を離し、落馬した。
おびただしい鮮血があふれていた。虎の頭が、目の前にあった。
激痛に意識が遠退くなか、私はとっさに、近くに突き立った槍を掴むと、
のしかかってくる虎の頭をめがけて突き出した。
確かな手応えがあった。槍は、虎の顎を刺し貫いていた。

「ご主君〜〜〜〜!」
…於我の叫び声がかすかに聴こえた。
私の意識は急速に遠退いた。

 

…気がつくと、武陵城内の寝台にいた。
於我、諸葛靖、太郎丸といった面々が、心配そうに覗きこんでいた。
どうやら、一命はとりとめたようだ。
しかし、この傷では永安を攻めるのは無理だ。
そこで、於我に永安攻めの総大将を命じた。
諸葛靖は「義兄の傷が治ってからになさったほうが…」と心配したが、
劉璋の本国・成都と永安が、馬騰によって分断させられている今が好機なのである。

翌日。
於我、紺碧空、太郎丸は6万の軍勢を率いて永安へ攻め込んだ。
しかし永安は、太守の厳顔、呉蘭という勇将に加え、
王累、上総介といった知恵者が守っており、攻めるに困難だったのである。
結果は大敗に終わり、於我らは必死に武陵へ逃れてきた。
その報に接した私は、今回の永安攻めは断念することにした。無念だが、仕方がない。

205年-1月

ようやく傷の癒えた私は、昨年の無念を晴らすべく、
8万の軍勢で永安へ向けて出兵した。
厳顔、呉蘭、上総介、そして新たに加わった孟獲という猛将の奮戦に悩まされたが、
本国と隔たった劉璋軍は援軍も呼ぶことができず、
逃げ道も馬騰の軍によって固められていた。
わが軍は粘り強く攻撃を続け、ついに永安の城を奪取した。

捕虜となった者のうち、厳顔と孟獲を登用した。
そして、上総介が引かれてきた。
説得の末、上総介は、「敗けたわ。哲坊殿」と
わが軍に加わることを決意してくれた。
知恵者の少ない我が軍にとっては、誠に心強い限りである。

翌月、孫策の使者として、張昭が訪れた。
「わが軍の江夏攻めに力を貸していただきたい」
先達て、江陵攻めに協力してくれた恩もある。
私は、江夏と接する江陵より援軍を出すことを快諾した。
江夏は、劉キの属領であるが、劉キはそこから遠く離れた
上庸にいる。孫策の大軍をもってすれば、陥とすにたやすいだろう。

江陵からは、呂蒙、張繍の手勢2万を出陣させ、孫策軍8万に続いて、
江夏へと攻め込んだ。孫策軍の指揮官は、都督・周瑜である。
戦いは周瑜の優れた軍略によって孫策軍の圧勝に終わり、
江夏は孫策の手に落ちた。
呂蒙が劉キ軍の王威と蘇飛を捕らえた。
命乞いをする王威を斬り、蘇飛は登用した。

永安に入城して、1月が過ぎた。
ある日、私は私は於我に叩き起こされて目を覚ました。

「ご主君っ!ご主君っ!!」
「…なんじゃ。まだ早いというに…」
「馬騰軍が7万の軍勢で攻めてきました!」
於我は、いささか蒼白な表情で告げた。
馬騰軍の襲来と聞き、領内は大騒ぎのようである。
我が軍は先月、永安を奪取したばかりで、兵力の回復が充分ではなかった。
永安の軍勢は4万に満たなかった。
しかし、折角奪ったこの城をむざむざ明け渡すわけにはいかない。
私は武陵に援軍を要請する使者を遣わすと、
朝飯をかき込み、鎧を身につけ、城を出て馬騰軍を迎え撃った。

驚いたことに、敵は馬騰自ら出馬してきたらしい。
これに従うは、馬超、ホウ徳、徐晃、紋次郎といった名だたる猛将たち。
河向こうに、もうもうと砂塵を巻き上げてこちらに迫る騎馬軍団を目のあたりにし、
私は、戦慄を覚えた。
「やはり兵を退くべきだろうか…」
思案していると、先頃わが軍に加わった上総介が、
「敵は騎兵隊が主力です。河を挟んで対峙すれば、恐れるに足らず。」
と落ち着き払った表情で云った。
劉璋軍に仕えていた上総介は、馬騰軍との戦闘の経験があるのだろう。
私は、その言葉に勇気づけられ、
「全軍、河の手前まで前進せよ!!」と命を下した。

かくして、我が軍4万と、馬騰軍7万は河を挟んで対峙する形となった。
なるほど、上総介がいう通り、河に入るには、さしもの騎馬軍団も
馬を降りて船を使わざるをえない。
「よいか!渡河を許してはならんぞ!」
私は、敵が馬から降りて、河に入ったところを攻撃するよう命じた。
河のほとりの砦を、諸葛靖に守らせ、
於我、太郎丸、厳顔、霍峻が河の手前に兵を伏せ、敵を待った。
敵の先鋒は、武勇名高いホウ徳と、
見事な口髭をたくわえた剛将・紋次郎である。

霍峻の弓隊が、河に入ったホウ徳隊を攻撃、つづいて
於我、厳顔の伏兵が岸から一気に襲い掛かる。

ホウ徳、紋次郎の反撃はすさまじかった。
ただ、やはり自慢の馬が使えなくては、その攻撃の勢いも
半減するのであろう。懸命に渡河を試みるが、
わが軍に阻まれて溺死する兵が続出した。
戦いは、わが軍に有利に進んだ。
しかし、敵は7万の大軍である。
馬超、徐晃は別動隊としてそれぞれ迂回し、
河を渡って、わが本陣へ迫るつもりのようだ。

そうなると、背後をとられた格好となり、形勢は不利になる。
渡河はなんとしても防がねばならなかった。ただ、それを防ごうとして
兵力を割くと、中央のホウ徳、紋次郎の上陸を許してしまう。
予断を許さぬ不利な戦いではあった。

やがて徐晃隊1万6千が、囲みを突破し、
ついに南の手薄な岸へ上陸してしまった。
浮き足立つわが軍勢。
そこへ、江陵から甘寧、紺碧空の援軍2万が到着した。
紺碧空は、中央のホウ徳隊を防ぎに向かい、
甘寧は徐晃の隊へとおめきかかった。
諸葛靖は、援軍に来た紺碧空とともに策をめぐらし、偽の情報を流し、
ホウ徳、紋次郎の部隊を、河の中で混乱させることに成功した。
彼等は、部隊の統率がとれず、河の中で往生している。

わが軍随一の猛将・甘寧は、獅子奮迅の戦いぶりをみせ、
群がり寄る敵兵をバタバタとなぎ倒し、徐晃に迫った。
「我こそは甘興覇なり!徐晃、いざ勝負せい!」
徐晃に対し、一騎討ちを呼ばわると、
「おお、貴様が甘寧か!河東郡の徐公明が相手になるぞ!」
徐晃は、名乗りをあげ、甘寧の挑戦を受けた。

互いに腕に覚えある両者の(ともに武力96)すさまじい激戦が展開された。
そのあまりの激しいぶつかり合いに、敵も味方も戦いを忘れ、いつしか
2人の戦いに見入ってしまっていた。
甘寧が薙刀を払えば、徐晃も自慢の大斧を振りおろす。
戦いは数十合に及んだ。両者は全く互角の打ち合いを展開していたが、
ともに疲れが見え始めたその頃、
ふっと、甘寧の繰り出した薙刀を受け流した徐晃は、
素早く斧を真直ぐ突き出した。あわや、
斧の先端が甘寧の顔面を直撃するかと見えた。
甘寧はとっさに、身をのけぞらしてかわしたが、体勢を崩した。
徐晃の繰り出した次の一撃が、甘寧の肩をかすめる。
「不覚!」
甘寧はかわしきれず馬から滑り落ち、そこを徐晃の兵士らに捕獲されてしまった。

甘寧の敗北によって、我が軍は一時、防戦一方の有り様となった。
あわてて、厳顔が徐晃の進撃を食い止めに行く。
私は本陣を離れ、北岸に迫る馬超を食い止めに向かった。
幸いなことに、馬超は単細胞であった。
まともにあたっても勝ち目がないと判断した私は、一計を案じ、馬超の部隊を
足止めさせることに成功した。

ホウ徳、紋次郎は混乱した部隊を鎮めるため、河の中で往生していた。
そこを、於我、諸葛靖が、実は得意の水軍を操って包囲し、彼等を捕らえた。
敵の大将、馬騰は、苛立って河向こうまで進撃してきていた。
馬騰だけで2万の大軍勢である。
それに気付いた紺碧空は、密かに、がら空きの敵本陣へ迫った。
兵糧を奪ってしまえば、勝ったも同然である。
それに気付いた馬騰が引き返す。於我、諸葛靖、霍峻が追撃する。
紺碧空は、馬騰に追い付かれるより先に敵本陣を押さえ、兵糧を奪うことに成功した。

食料を奪われた敵の士気は見る見る衰え、敗走を始めた。
厳顔が徐晃の隊を追撃し、捕らわれた甘寧を救出した。
馬騰、馬超親子は取り逃がしたが、わが軍はなんとか永安を守り切ったのである。

捕虜となった徐晃、ホウ徳は残念ながら仕官を拒絶した。
部下は諌めたが、私は、彼らとの次の対決を楽しみに、解き放ってやった。
1人、紋次郎が残った。
「御主は、行かぬのか?」私が聞くと、
「哲坊殿の下で働かせてくれ」と彼は答えた。
私は、喜んで受け入れた。

損害は大きかったが、寡兵よく大兵を破ったという自信からか、
将兵らの表情は、どこか充実感に満ちているように見えた。
しかし、この戦いは、来るべき馬騰軍との全面抗争への序曲にすぎないことを
私は悟っていた。

 

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