三國志VII 奮闘記 外伝7

 

224年-4月

いくら待っても、信幸
(のぶゆき)と彩乃(あやの)は戻って来なかった。
幸村(ゆきむら)は、汝南と許昌の国境付近にいた。
任務の成否に関わらず、ここで落ち合う手筈であった。
2人とも捕まったか、あるいは…。
幸村は、汗ばんだ額をぬぐった。
 

魏は曹操が死して後、各地での戦に敗れ、急速にその勢力を縮小していた。
曹操の時代より、幸村は各地を転戦していたが、
個人がいくら戦場で奮戦しようとも、時の流れにはもはや逆らえない。
幸村は、曹操の跡を継いで皇帝となった文帝・曹丕には心服していなかった。
戦に勝つことよりも、戦で強い相手に出会うことに喜びを感じる幸村にとって、
この文人的な匂いのする皇帝に服す気にはなれなかったのである。
毎年行なわれる武術大会も、幸村にとっては歯応えのないものだった。
許チョ、夏侯惇、夏侯淵といった多くの猛将がもはや世を去った今、
相手になるのは徐晃、ホウ徳、張コウの3人くらいであろうか。
先年、呂布が韓軍と哲坊軍によって滅ぼされたと聞いたときは、
かなりの衝撃であった。
近いうちに北へ出向き、自分に武術を仕込んでくれた人物との再会、
そして再び手合わせを願おうと思っていたのに…。

再会といえば…。

年明けの長安攻防戦で、幸村はおよそ十年ぶりに韓軍の将・関羽と矛を交えた。
あの時、まったく歯が立たなかった相手…。

戦は負けた。
しかし幸村は、敵将の挑発に体中の血が沸立つ感覚を覚え、
退却の途中反転し、勝負を挑んだ。
結果、関羽に傷を負わせたものの、とどめはさせなかった。
戦ううち、関羽の老いを感じたが、手は抜かなかった。
それが武人としての礼儀であろう。
負けなかったが、勝てもしなかった。
長安を引き揚げてから数日。関羽が病死したという報が届いた。
大きな目標を失った気がし、幸村は嘆息した。


ところへ、東方戦線から
新荘(しんじょう)、徐晃らが、
哲坊軍の女武将を捕虜として連れ帰ってきた。
通称・蔡援紀、本名は彩乃と名乗ったその女は、
真田兄弟と同じく倭
(やまと)の者だと知れた。
そして、兄・信幸、幸村にとって同族でもあった。
女は身分を明かした上、
哲坊(てつぼう)を討つために来たのだと告げた。
そして、倭の宝物・龍の方壺を取り戻す密命をも。
3人は新荘と謀り、汝南へ潜入した。
しかし、不首尾に終わったばかりか、2人は戻って来ない。
 

幸村はやむなく立上がると、白み始めた空の下を、許昌に向けて走った。
屋敷へ戻ると、新荘が待っていた。
「駄目だったか」
新荘は冷やかではあるが、落ち着いた口調でいった。
「面目次第もございません」
幸村は頭を垂れた。
「して、2人は…?」
「戻りませんでした。おそらくは…」
「そうか……いや、無理もあるまい。お主ほどの手練がしくじったのだ。
 警護も堅かったのだろう。して幸村よ、これからどうするのだ」
幸村はしばし考え、いった。
「今一度、哲坊のもとに潜り込みます」
「うむ……しかし、もうお主1人しかおらん。危険だぞ。
 哲坊を殺すだけでなく、どこにあるとも知れぬ壺を奪おうというのだからな」
「それは我が使命…。
 それに、兄上と彩乃殿が生きているなら、助けねばなりません。
 して、今後の方針は…」
「先程、司馬師殿、
香香(しゃんしゃん)殿と話していたのだが、
 おそらく哲坊軍は宛を落とした後、全軍をもって長安を攻めるであろう。
 今の韓軍には孔明、司馬懿がいるから、哲坊軍は一度は負ける。
 そこを、手筈通りわが軍が宛を攻め取り、奴等の背後をつく。
 お主は、その前に宛城に入り込み、壺の所在を探れ。
 壺が宛に無いとすると、哲坊は壺を自らのもとに置いておろう。
 それを確認したら、わが軍と合流し、ともに哲坊軍を討つのだ」
新荘は、不敵な笑みを浮かべた。
「は……」
幸村はその目を覗き込みながら頷いた。
「そうだ…お主は真田一族の戦士…。哲坊を殺す使命があるのだ…」
新荘が繰り返しいった。
「必ず………」
幸村は、その目を見つめたまま、魅入られたようにつぶやいていた。


夏になった。哲坊軍が動いた。
宛に攻め込み、これを呆気無く占拠したのである。
の守備軍・張魯、張コウは許昌へと逃れてきた。
しかし、これは哲坊軍に長安を攻めさせるための司馬懿、司馬師の策略であった。
司馬懿は、表向きは韓に降ったものの、ほどなくして魏に内応していた。
哲坊軍を長安で壊滅させた後、司馬懿はすぐに反乱の兵を挙げ、
今度は韓を、内外より攻める手筈であった。
「そう、うまくいくだろうか…」
幸村は内心、そう思っていた。
哲坊には陸遜、劉備には諸葛亮がいる。
哲坊と劉備は欺けても、彼等軍師を欺くのは難しそうだからだ。
 

224年-9月

秋風が吹き始める頃。
哲坊軍は温存していた荊州の兵力を、長安に向けて一斉に投入した。
その軍勢は実数でも四十万は下らないだろう。
すでに宛の城下に入り込んでいた幸村は、その軍勢の威容を目のあたりにした。
その夜、幸村は黒装束に身を包むと、城を見上げた。
宛はもともと魏の領地だったため、地形は知り尽くしている上、
手薄となった城に潜入することは、幸村にとって造作のないことであった。
見張りの兵の注意を他に引き付け、宝物庫を目指す。
あった。
番兵らに煙玉を投げつけるのは考えものだ。
煙に気付いた、他の兵が押し掛けることも考えられる。
幸村は覚悟を決め、付近にいた兵の背後に音もなく忍び寄ると、
その首を両腕で締め上げた。兵は必死に足をばたつかせたが、声もなく失神した。
兵の服を剥ぎ取って身につける。
倒れた兵を目につかない所に押し込め、武器を手に宝物庫へ向かう。

「交代です」
幸村は声をかけた。
「ん?まだ早いのではないか」
「…徐盛様のお言い付けです」
幸村は知っている人物の名を挙げた。
「…そうか」
兵の1人は去ろうとした。が、もう1人が
「待て。おかしくないか?俺たち見張りの兵の配置を、
 わざわざ太守の徐盛様が命令すると思うか?」
「ん、そういえばそうだな…」
「……」
しまった、迂闊だった。

「おい、お前…」
幸村は、振り向きざま、声をかけた兵の首筋をめがけ、
素早く手刀を叩き込んだ。
「かっ…」
悲鳴を上げる間もなく、兵は倒れた。
慌てたもう1人の兵が槍を構える。
瞬間、懐に飛び込み、みぞおちに正拳を入れる。
体を折ったところへ、側頭部に肘を振り下ろす。

ピクリとも動かなくなった兵らを捨ておき、
幸村は、宝物庫の扉に歩み寄った。錠前を外し、中に踏み入る。
宝物庫には、大国にしては驚くほど少ないが、様々な珍品が置かれていた。
しかし、龍の方壺はどこにもなかった。
やはり、壺は哲坊のもとにあるのだ。
幸村は即断した。今夜は引き揚げよう。
幸村は、影のように城から抜け出た。
 


その年の暮れ。
総大将の曹丕以下、司馬師、張コウ、徐晃、ホウ徳、毋丘倹、
新荘、香香、
諸葛音(しょかつおん)ら魏の軍勢10万は
万全の布陣をもって、出陣の時を待っていた。
衰退したとはいえ、これだけの軍勢を動員できる底力が、魏にはまだあった。
それはかつて曹操が築き上げた大国の名残りともいえるだろう。
仮にこの戦いで負ければ、すべてが水泡に帰す。
誰も口には出さないが、そんな緊張感が、軍全体を押し包んでいた。

長安の、韓軍と哲坊軍の戦況は、一進一退であった。
数で劣る韓軍であったが、指揮官の諸葛亮以下、趙雲、馬超、
張苞、関平、
翠火(すいか)豊水びーさるといった諸将が
よく哲坊軍の侵攻を食い止めていた。

陣太鼓が打ち鳴らされた。いよいよ動く時が来たのだ。
魏軍10万は、宛に向けて進軍を開始した。
長安で戦闘中の哲坊軍の背後を突く前に、その居城である宛を落とす必要があった。

魏軍が宛の城下に迫ったとき、城から火の手が上がった。
城内に潜伏していた幸村の仕業である。
魏軍は勢いに乗じて攻め込んだ。宛城は大混乱となった。
宛は太守の徐盛が堅固に守っていたものの、
突然の城内からの出火に驚きを隠せない。

「急いで火を消せ!なんとしても守り抜くのだ!」
幸村は、哲坊軍の兵に成りすまし、
懸命に指揮をとる徐盛の、まさに傍らに入り込んでいた。
「ん、如何した?」
「徐盛殿、お命もらいうける!」
幸村は短刀を抜き、斬りかかった。
徐盛は咄嗟に身を踊らせてかわした。
「貴様、何奴だ!」
近衛兵が数人、幸村の前に立ちはだかる。
幸村は答えず、兵の1人に斬りつけた。
兵は、首筋から血しぶきを上げ倒れた。
残る兵らが一斉にかかって来るのをさらりとかわし、
徐盛の目の前に飛び込んで短刀をふりかざす。
徐盛は素早く剣を抜き、それを受け止めた。さすがに腕が立つ。
徐盛は反撃に転じ、剣を横に払った。
しかし幸村は、身を屈してそれをかわし、
一瞬のうちに背後に回り込んでいた。
幸村は、背後から徐盛の首に短刀を突き立てた。
「ぐはぁっ!」
短刀を引き抜くと、おびただしい血煙を上げ、徐盛は仰向けに倒れた。
「徐盛、討ち取ったり!」
幸村が叫ぶ。太守の呆気ない死に、警護の兵らは唖然として声も出ない。
指揮官を失った宛の守備軍はたちまち総崩れとなった。
そして、城内に魏全軍が雪崩れ込んだ。

魏軍は、宛を奪回した後、すぐに北方へ向けて出撃した。
長安で韓と交戦中の、哲坊軍の背後を衝くためである。
新荘の読み通り、哲坊軍は諸葛亮率いる韓軍に敗退した。
その退路を、魏軍がふさぐ格好になった。
哲坊軍は前後から攻撃を受け、進退極まった様子だった。

それでも哲坊軍は、さすがに中華大陸のほとんどを制圧した精鋭揃い。
魏と韓、前後の軍勢を相手にしながらもなんとか奮戦を続けていた。
しかし時が経てば経つほど、戦況は韓、魏に傾いていった。
前線では、張コウ、徐晃、ホウ徳、毋丘倹らが、
哲坊軍の
紺碧空(こんぺきくう)幽壱(ゆうわん)
伊那猫(いなねこ)太郎丸(たろうまる)隊と激しく交戦していた。
宛を落とされたと知った哲坊軍は、
じりじりと追い詰められ、漢中方面へと後退していく。

幸村は赤い軍装に身を包み、漆黒の愛馬に跨がり戦況を見守っていた。
背後には、直属の騎兵隊3000が控えていた。
その軍装は馬の鞍から鎧兜まで、すべて赤に統一されている。
小高い丘上に布陣した幸村は、哲坊本隊を探していた。

「我こそは、常山の趙雲子龍なり!」
長安から追撃して来た韓将が名乗り、哲坊軍に呼ばわった。
「おうっ、この
セバスが相手になるぞ!!」
乱戦の中戦いの手を止め、哲坊の軍中より1人の将が趙雲に向かった。
趙雲は、セバスの攻撃を涼しい顔で受け止めると反撃に転じた。
「この先へは行かせん!!」
セバスは、必死に趙雲の攻撃を防ぎとめる。
セバス隊の背後には、哲坊軍本隊があった。
幸村は、その武将に見覚えがあった。
昔、あの男に山道で襲われた。それを、夏侯惇に救われたのだ。
その出来事がなければ、今ごろはどうなっていただろうか…。
幸村はかぶりを振ると、再び戦場へ意識を集中させた。

十数合打ち合った末、善戦空しくセバスは趙雲の槍にかかって落馬した。
「死にたくなければ道を開けい!」
趙雲は叫ぶと、槍を払って馬を進めた。
と、趙雲の白馬が突然何かにつまづいたように倒れ込む。
趙雲はもんどり打って落下し、地に叩きつけられた。
倒れたセバスが、最後の力を振り絞り、馬の足を斬ったのである。
哲坊軍の兵が、動けないでいる趙雲に群がり寄る。
「へへ…」
セバスは薄笑いを浮かべ、事切れた…。

趙雲危うし、と思われたとき、2人の武者が割って入り辛くも彼を救った。
関羽の息子・関興と張飛の息子・張苞だった。
幸村は彼らを長安の戦でも見ていた。
若き猛将2人は、群がり寄る哲坊軍の兵を蹴散らし始めた。

南方では、徐晃、ホウ徳、張コウ隊が、太郎丸、幽壱隊を押しまくっていた。
崩れ去る哲坊軍を追撃する。
新荘、香香、諸葛音隊も続いた。
「思う壺だな…」
幸村はつぶやいた。
このまま漢中方面に逃れれば、哲坊軍は、
途上で、安定から南下する韓勢に襲われるに違いない。

しかし…。
韓軍の動きが、鈍り始めた。
どうしたというのだろう…?

「ま、まずいぞ……」
幸村は、目を見開いた。
それと気づかぬ魏の軍勢は、怒涛のごとき勢いで追撃していく。
韓の腹が読めた。
韓は、魏を嵌めたのだ。
哲坊軍を挟撃して漁夫の利を得るは魏である。
それをまんまと見抜かれてしまったのだ。
「諸葛亮か…それとも…」
時すでに遅し。今ここで幸村が知らせに行っても、
勢いのついた軍勢を反転させるのは至難である。

案の定、韓軍は、魏軍の背後へ回り込んだ。
そして、魏軍に容赦なく襲いかかった。
戦況は一変した。
哲坊軍は、漢中からの援軍と合流し、反撃に転じた。
今度は魏が、前後から挟撃される格好となってしまったのである。
みるみるうちに、魏軍は討ち減らされていった。

「やむなし……全軍突撃!!」
幸村は、大音声で号令し、丘を駆け下った。
3軍がぶつかり合うそのど真ん中へ、
幸村隊3000が楔を打ち込むように突撃したのである。
数は少ないが、突然の新手の出現により、韓軍は浮き足立った。
赤一色に染まった軍勢は、さながら烈火の燃えるが如き勢いで、
敵兵を血祭りにあげていった。
 
韓軍の動きが止まる。韓軍はその赤き軍勢に、
これまで幾度となく恐怖にさらされていたためである。

幸村は、手に大粒の雫が落ちるのを感じた。
折りしも、豪雨となった。

「我こそは、真田幸村なり!立ちふさがるものは容赦なく斬る!!」
幸村は無人の野をゆくが如く駆けた。
浮き足立つ韓の兵を突き伏せ、ぬかるみとなった地面に叩きつける。

しかしもはや、魏軍は累々たる屍の山を築いている有様。
体勢を立て直すまでには至らない。
前方に、苦戦する諸将の姿が見えた。
「幸村殿!」
将らは、幸村の姿を認めると、一様に勇気付けられたような表情になった。
新荘、香香、諸葛音は、敵兵の執拗な包囲に遭い、動けずにいた。
幸村隊がそれを突き破り、窮地より彼らを救った。
「幸村殿…すまぬ」
新荘も自ら抜刀し、戦い、傷ついていた。

奮戦を続けているのは、徐晃、ホウ徳、張コウら猛将と、
その配下の兵らのみであった。
中央には、曹丕の大将旗が見える。まだ健在のようだ。
毋丘倹は、韓将・馬超に討たれていた。
その馬超は、ホウ徳と激戦の只中にある。
幸村が、ホウ徳の加勢に向かおうとしたとき、
「我は関羽が息子・関平なり!!父の仇、討たせてもらうぞ!」
1騎の武者が名乗りをあげ、斬りかかってきた。
幸村は、関平の一撃を弾き返すと、鋭い突きを返した。
関平もさすが、希代の名将の息子。
その突きを払いのけ、青龍刀をすぐさま振りおろす。
幸村は馬の速度を速め、くぐり抜けた。
そのまま槍を払うと、関平は前のめりになって落馬し、
雨で泥沼と化した地に転げ落ちた。

「幸村殿!」
敵兵を掻き分け、駆け寄って来るは、徐晃、張コウ2将であった。
幸村は、槍を振るいながら目礼を返し、叫んだ。
「韓に、してやられましたな!」
徐晃が大斧を振り回しながら返す。
「幸村殿!こうなれば、憎き司馬懿にひと太刀浴びせに行こう!」
「司馬懿殿が裏切ったのですか!」
幸村は驚いて叫んだ。
「左様!彼奴め、まんまとやってくれたわい」
叩きつける雨に顔をしかめながら、徐晃がいった。
幸村は、ほんの一瞬の間考えたが、
「それがしは、哲坊を討ち果たすまで!!」
「包囲を抜けきれる自信があるか!」
もう1人、奮闘を続ける張コウが問うた。
幸村は無言で、しかし力強く張コウの目を見やった。
「その意気やよし!ならば我、貴殿のお共つかまつる!」
張コウは、幸村の側に馬を寄せた。
「公明殿は、如何なさる!」
張コウが、徐晃に呼びかけた。
「知れたこと!わしは1人でも司馬懿を討つ!!」
「ならばこれにて!」
「応!!」
幸村と張コウは、徐晃と逆の方向に走った。
「幸村殿!!」
徐晃の声がした。
振り返ると、徐晃は幸村の顔をじっと見ていた。
「ご武運を!」
徐晃は叫び、わずかな手勢とともに
群がり寄る韓の大軍の中に没していった。

「儁乂(しゅんがい)殿!幸村殿!」
本陣付近の将らが呼び止めたが、幸村は振りかえらず、
張コウとともに哲坊軍に向かって突撃した。
哲坊軍であろうが、韓軍であろうが、幸村は道をふさぐ者はすべて叩き斬った。
雑兵を掻き分けて進むと、2振りの剣を両腕に構えた1人の将が立ちふさがった。
哲坊軍の将・荒賢(こうけん)と名乗った。
この男も、見覚えがあった。
かつてはともに曹操軍の将としてともに戦った男だ。
「幸村!!この俺を忘れてはおるまいな!」
しかし幸村は答えず、速度を緩めず荒賢に突進していく。
ガツッ!!
幸村は、すれ違いざま、荒賢の剣の2振りのうち1本を槍で弾き飛ばした。
槍を持ち直し、柄を荒賢の兜の側面に叩きつける。
「うわっ!」
荒賢はかわしきれず馬から落ちた。昔の誼、意図的に斬らずにおいたのだ。

また1人、立ちはだかった。
身の丈一丈はゆうに越えるだろう大男が、巨大な馬に跨っていた。
韓の将か。兀突骨と名乗った。
「ここは我に任せろ!」
張コウが叫び、兀突骨に挑みかかっていった。

幸村は、哲坊軍本隊に迫った。
哲坊軍本隊の精鋭たちは、さすがに手強い。
後方を見ると、1500の手勢は数百に減っていた。
韓軍もまた、哲坊軍本隊に迫り、戦っていた。
付近では、韓の張苞と哲坊軍の周泰が壮絶な一騎討ちを展開している。
背後を見た。
張コウが、兀突骨の胸板を槍で突き通していた。
しかし、張コウもまた、左腕の肘から先がなくなっていた。
動けずにいる張コウを、韓軍の兵らが一斉に槍で突き通すのが見えた。
「張コウ殿…!!」
歯がみをしつつ、哲坊を探す。
少し離れたところに、本陣の旗が見えた。

哲坊軍の屈強な旗本隊がわらわらと迫ってくる。
遮二無二蹴散らし、本陣に迫る。
左右から、孟獲、祝融と名乗る男女が斬りかかってきた。
双方の攻撃を受け止め、弾き返す。
祝融の槍を叩き落とし、孟獲の胴に斬りつける。
孟獲はうめいて落馬した。

配下の兵は、もはや数十人に減っていた。
群がり寄る敵兵の数が増していた。増援部隊が来ているのだ。
哲坊軍には広大な領地がある。
その通り、漢中、安定方面から続々と援軍が到着しているのだった。
すると、安定の韓軍は、すでに哲坊軍に敗退し、撤退したのか。
前方には依然として大軍がある。
数万の敵の精鋭の中を、
返り血でさらに赤く染まった幸村隊たった数十騎が一直線に走っていた。

視界の先に、大将旗が見えた。
その下に、哲坊がいた。
その左右の手前にはまた一群がある。
旗には「諸葛靖」「上総介」の名が見える。
将に迫った。
「女人か…」
ひとりは長い黒髪の女、ひとりは短い髪の小柄な女だった。
戦場にありながら落ち着き払い、懸命に兵を支えている。
幸村は、女たちには迫らず、一群の中ほどまで突き進んだところで
右前方の一角を切り崩して突破し、さらに進んだ。
目指す敵将がいた。
馬上の哲坊は怯える様子もなく、こちらを直視していた。
後方に荷駄車があった。壺はあそこか。

再び哲坊の姿が隠れた。敵兵の包囲はますます厳しくなっていた。
配下の騎兵数十人を叱咤し、突き進む。
また一騎立ちはだかった。
「俺は魏延!ここは通さんぞ!!」
手強そうだ。
面倒と見た幸村は、速度を緩めた。
騎兵らが、魏延を取り囲む。その脇を走りぬけた。
先には、長槍を構えた兵が、横一列に並んで待ち構えていた。
あれで突かれてはたまらない。
幸村は腰を浮かし、馬の鞍に足をかけた。

馬が突っ込んだ。
槍が一斉に突き出される。

幸村は自分の槍を投げ捨て、鞍を蹴って跳躍した。
馬が無数の槍に突かれ、倒れるのが見えた。
槍兵たちを跳び越え、着地する。
その周囲にいた兵は驚き、攻撃を躊躇している。
哲坊が、目と鼻の先にいた。
幸村は、背に負った青コウの剣を引き抜き、走った。

と、横合いから槍が突き出された。
幸村は、たたらを踏んだ。
「やい小僧!この加礼王(かれいおう)が相手だ!!」
肩幅のある男だった。徒歩で、甲高い声をあげて突きかかってくる。
その槍をかわしざま、素早く掴み、引き寄せる。
「うぉっ!」
加礼王が、前のめりになる。
幸村は、ぬかるんだ地を蹴った。
そして、加礼王の肩を踏み台にして、再び跳んだ。

落下しながら、標的目がけて青コウの剣を振り上げ叫ぶ。
「真田幸村、見参!!」
その目線の先に、哲坊がいた。
哲坊は、目を見開いたまま、動けずにいる…。

と、突然その口から声が発せられた。

「幸村!!わが、息子よ!」

な、なにっ!?
幸村は突然のことに、体勢を崩しかけた。
しかし、落下の速度は緩まない。
青コウの剣は、狙い違わず哲坊の脳天を叩き割るかと思われた。
しかし、一瞬早く哲坊の馬が身を躍らせていた。
幸村が叩き割ったのは、その脇にあった、荷駄車に積まれた大きな包みだった。
包みの中身は、鋭い音を立てて割れ、中から多量の水が溢れ出した。
「ああっ!!」
哲坊の側近が、絶叫に近い声をあげた。
「龍の方壺が…!」

な、なんだと…!
幸村は、しばし立ち尽くした。
しまった…あの壺を割ってしまうとは…!!

「…!」
腹部に、鋭い痺れを感じた。
幸村は、慌てて跳びずさった。
「貴様!よくも!!」
魏延が、斬り付けてきたのだった。
幸村は腹部を押さえたまま、続く魏延の攻撃をかろうじてかわした。 

衝撃と痛みのあまり、反撃に転ずることができない。
幸村は身を低くして、走り来る魏延の足を払った。
魏延は勢い余って転倒した。
その隙に雑兵数名を斬り、馬を奪い、遮二無二逃げ走る。
脇腹から鮮血を滴らせ、無意識のまま、
幸村は何処ともなく走り去っていった…。

雨は、止んでいた。


225年-6月

かくして、長きにわたる三つ巴の長安攻防戦が終わった。
魏は、あの時の戦いで大将の曹丕以下、張コウ、徐晃、毋丘倹、ホウ徳といった
将を相次いで失い、大敗退をとげた。
曹丕に代わり、子の曹叡が魏の主の座を継いだが、かつての繁栄は見る影もない。
新荘は行方知れず、香香、諸葛音は、哲坊に降っていた。

長安は、結果的に勢いを盛り返した哲坊軍が奪回した。
韓の軍師・諸葛亮は、魏と内通していながらも、それを裏切った司馬懿を
警戒し、みだりに兵を動かすことを止めたのである。
韓は長安を撤退し、弘農をも捨て、洛陽へ退いていた。

幸村は、許昌にいた。
しかし、城には戻らなかった。
許昌の城下にただひとり潜伏し、静かに傷を癒すことにしたのである。

 

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