
上杉謙信といえば、越後(新潟県)、越中(富山県)、加賀(石川県)、能登(石川県)、などを 領した北方の雄で、戦略、戦術に長け、自ら采配をした戦では無敗と言っていいほどの強さを誇っていた。
また上杉謙信は、戦国時代には珍しい忠義心と義侠心の持ち主である。義侠心の厚さでいえば、塩に困っていた甲斐の宿敵・武田信玄にこれを送り、危機を救ってやったりした事は有名である(しかし現在この逸話は創作ではないかと言われている)。
また、”不犯の武将”としても有名で、一生妻を持たなかったことは承知のごとくである。その上杉謙信だが、毘沙門天の熱烈な信者で、不犯を実行したのも、この真言宗の「肉食帯妻を禁ずる」という戒律を守るためだった。
こうして、肉食や色欲を禁じられているのだから、上杉謙信が酒に走るのは当然の事で、彼は毎日のように大酒を食らっていたのである。
しかしそんな大酒飲みにもかかわらず健康を保てたのは、彼が肴の変わりに梅干しを食していたからではないだろうか。梅干しは昔、中国から伝わってきたもので、薬用として使われていた。また、現在でもアルカリ食品として手軽に食べられている。梅干しの含有成分であるクエン酸は、体内で変化して疲労感を取り除き、スタミナ回復や食欲増進、健胃整腸、二日酔いなど、さまざまな効能を発揮するのである。
実際、上杉謙信がそれを知っていたかは分からないが、彼はまさに梅干し健康法を実践していたのである。
しかし惜しむらくは彼の死に方で、史料では雪の中、厠で倒れたとある。脳溢血が有力だそうだが、もしそうであれば、大酒はやはり体によくないのと、つまみの梅干も塩分が多いため、過度に摂取したためではないだろうか。やはり何事もほどほどに…。