
伊達政宗は伊達輝宗の長男として米沢城(山形県)で生まれた。幼名は梵天丸。 少さい頃、疱瘡(天然痘)にかかり、失明してしまった。片目となった政宗は、独眼竜政宗という呼び名で広く知られている。(独眼竜政宗は後世の呼称である)
彼はとても勇猛で、18歳で家督を継いでから、会津地方を手中に治めるなどして、武名を馳せた。また伊達政宗は、勇猛なだけでなく、なかなかの策士であったので、 豊臣秀吉にいっぱい食わした事さえあった。
その伊達政宗の健康法だが、それを如実に示すエピソードがある。小田原攻めに向かおうとした時のこと、彼は実母に殺されそうになった。その時、すぐに撥毒丸を服用したため、 大事には至らなかったという。はなはだ用意のいい事だが、彼は、
「病気など、まだ軽いといって油断する事はいけない。物事は小事から大事に起こるのだ。決して油断してはならぬ。」
といい少しの病気でも必ず薬を服用した。
これは、伊達政宗のすべてに共通する考え方で、家臣たちにも、
「二六時中油断の二字に用心強くせよ。」
といっている。
いつでも、薬を用意し、すこしの病でも充分に用心することが、伊達政宗の健康法であった。ちょっとした体の異常をおろそかにしがちな人は、これを見習ってにてはいかがだろうか。