「異聞・戦国録」第一話.夏の海 半Be先生作

 雨が降っている。もう何日間続いているのだろうか。晴れていれば房総を一望できると思われるその城も、城下からは天守がやや朧に見える程度である。その天守では女将が一人、遠くを見渡せないはずの天守からおもてを眺めていた。
『此度の戦。吉と出るか、それとも…。』何やら思いを馳せていると、天守の下の階からまた一人女将が上がってきた。それに気付きおもてを眺めている女将が降り返り言った。
「今帰ったか?ずいぶんと早かったな…。」
「はい…。お館様!!…。」
そう天守に入ってきた女将がただならぬ表情で話を続けようとした。が…。
「今川軍は総崩れ。義元殿も討たれたと…。そうだな…お猿。」
お館様と呼ばれた女将がそう言うと、お猿と呼ばれた女将は驚いて答えた。
「!!…はい……。ご明察の通りでございます。しかし、なぜ!?」
「ふふふ…。お猿のその表情を見れば、大まかは。な。やはりあの織田信長殿はただのうつけではなかったであろう?一度尾張で遠くよりその素振りを見たとき、ただならぬものを感じた…。此度賭けていたこの京扇子。このおめぐが貰い受けるぞ。」
笑いながらそう言うと、おめぐは懐から扇子を出し、広げて見せた。その鮮やかな紺碧の扇子には鯉が一尾描いてあった。おそらく男物の京扇子であろう。その鯉を見ながら、
「しかし、これで東海の勢力図は変わる。関東も…。我が上総介家も…。」
言いながら、おめぐはまだ扇子を閉じたり開いたりしながら誇らしげに見ている。その度にまるで鯉が水面から跳ね上がり姿を見せるように見える。そのおめぐを半分やれやれというような目つきで見ながらお猿は言った。
「お館様。それでは…。」
「…うむ。皆を集めてくれ。岡本城の里見、勝浦の正木もな。田楽狭間での詳しい話、聞かせてもらうぞ。」
「かしこまりました。」
その後、二人は無言のまま天守を降りていった。
 永禄3年(1560)5月下旬の某日。降りしきる雨の中、上総介家当主おめぐの居城ここ久留里城の天守は未だ先の見えぬ白い霧の中にあった。



翌日、雨が降る中、久留里城の大広間に上総介おめぐの全ての家臣たちが集まり、黒井お猿による田楽狭間での今川軍敗北の報告を聞いていた。岡本城主里見義尭を筆頭に、その子義弘、義頼。勝浦城からは正木時茂、時忠。そして、黒井お猿を含めたおめぐの直臣、兜太郎丸、大谷宝、木枯紋次郎、宮本雅、源太郎、潟上条星、ヨハン・セバスチャン、新田小十郎、荒城田半兵衛である。

「――――と、いう次第でございます。」
お猿の報告が終わると、しばらくおめぐは家臣たちの表情を伺った。ただただ唖然とする者、ため息をつく者、腕組みをして考えを巡らす者、そして目を閉じて沈黙する者…。様々であったが、誰も言葉を発するものが無く、しばらく静かな時間が続いた。と、その時である。
「戦じゃあ!!このまま上総・安房でじっとしていれば、我等もいずれ潰され兼ねん!」
沈黙を破ったのは上総介家一の豪の者として知られている、木枯紋次郎である。するとまた別の将が声を高くして言った。
「そうじゃ!今は戦乱の世。この機に下総・武蔵と領土を広げ、上総介家の基盤を整えるべし!!」
こう続いたのは、木枯紋次郎と共に武勇で名の通っている宮本雅である。そして更に続く
「そうでおじゃる!京の都は、度重なる戦でさぞ荒れていように…。上洛も方針として考えなければならないでおじゃるぞ!」
続いたのは、貴族趣味でもある源太郎であった。すると、里見義尭が言った。
「しかし、そう下総・武蔵へ兵力を傾けていれば、北条氏康が海を渡って攻めてくるのは必定!領土拡大を焦れば足をすくわれることもある!北条がおれば、上洛もかなわんぞ!」
すかさず紋次郎が反論する。
「ならば、一方で海岸線の防御を固めつつ、もう一方で進撃すればよいではないか!」
すると紋次郎をなだめるように、大谷宝が言う。
「しかし、我上総介家は未だ兵力財力にやや不安がありまする。それを実行できる状態ではありませぬ。」
「う~む…。」
この発言により、紋次郎、そして雅までもが言葉を無くしてしまった。しかし、今度は新田小十郎が言った。
「それならば、物資は攻め込んだ土地にて調達すれば良いではないか。」
これには、正木時茂、時忠が異を唱えた。
「それは、物資を現地で略奪せよということか!そのようなことをすれば我軍はただの賊と替わりが無くなってしまうではないか!!」
「左様!しかも、大人しく協力してくれるとは限らん。反対に抵抗されたのでは、我軍の疲弊は大きくなり、犬死することになるやもしれん。」
「なになに。借りた分は倍にして返すと約束でもすれば、容易でしょう。」
小十郎は若干笑みを浮かべた顔で軽々しく答える。
「それにおいても、確実ではないことだ。この重要な時期において、安易な考えは命取りになりかねん。」
そう言ったのは、兜太郎丸である。上総介家の中でも温和で良識派として知られている。
「ならばいっそのこと北条と手を組み、その上で下総に攻め込めばよい。」
皮肉混じりに潟上条星が口を開いた。やはり太郎丸が反発する。
「冗談を申している場合ではない。それは無理な話だ。北条が当家と仲が悪いことはおぬしも周知のはずじゃ。」
この言葉を聞くと条星は目を閉じ、口元をやや綻ばせた。どうやら太郎丸の返答を予期しているかのようであった。そのやり取りを見ていた南蛮人のヨハン・セバスチャンもまた、ニヤリとしていた。そして、
「お館様には、何かお考えがあるのですか??」
と、流暢な日本語を使っておめぐに向かい直し尋ねた。
「…うむ。皆の意見はもっとも。東海の情勢が変わった今、関東でも動きがあるはず。特に北条、佐竹、宇都宮。更には武田…。これからの世を生き抜いていくにはやはり力が必要となる。そこで、我が上総介家も国力をつけるべく領土拡大を図りたいと思います。…」
おめぐがここまで言うと、紋次郎、雅、太郎の三人は目を輝かせながらおめぐを見上げた。
「…しかし、今すぐにではない。現段階では度重なる戦は出来まい。しばらくは財力を蓄えるべく国力の充実を図り、そののち機を見て下総に攻める。…」
ここまで聞くと、3名の表情は多少暗くなったが、機を見て攻め込むことを聞いたことで思いは晴れたようであった。おめぐは話を続ける。
「…そこで皆にはそれぞれ領内の開発をしてもらう。更に里見殿、正木殿はそれぞれ持城の修繕。他の皆はこの久留里城の改修、開発を請け負ってもらうぞ。よいな。」
「はっ!!」
一同はそう返事をし、評定が一段落しかけたその時である。
「お館様…。」
声の主は、一同の末席に座っていた荒城田半兵衛であった。
「なんじゃ、半兵衛。」
「はい。上総・安房各地の開発と城の改修。その後の戦も宜しいかと存じます。ただ…。」
「ただ?」
「ただ、更ににあったほうが良いものがございます。」
「とは。なんじゃ?」
「はい。下総への出陣の際、ここ久留里からではいささか距離がございます。そこで、下総と上総の国境付近に戦の拠点となる砦を築くのが良いと思われます。」
半兵衛がそこまで言うと、宝が口を開いた。
「なるほど。かの土地に砦を築けば下総平定後も、上総下総の中間点として、更には上総への防御としても役立つのお。」
更に太郎丸も言う。
「随時、その砦を発展させ、城下も広がれば、国も潤いますな。」
おめぐはしばらく考え、半兵衛に応えた
「…うむ。なるほど、そのとおりじゃ。わたしとしても異存は無い。しかし半兵衛、この案はそなたの案にしては出来過ぎておるな。哲坊和尚の案か?」
哲坊和尚とは、代々上総介家の菩提寺になっている、華栄寺の住職である。おめぐのよき理解者として問答相手であり、茶の湯の師でもある。
「…はい。私は下総・武蔵に存在する大名や、他勢力への心理効果も狙い、下総に砦を築くという案を考えたのですが、それでは逆に久留里との距離も遠く、物資の運搬が不便になり築城中に他勢力に襲われる危険も大きくなると、指摘を受けました。」
「よう分かった。さすがは哲坊和尚というところか。あとはその場所に何処を選ぶか。か……。」
すると、里見義弘が言った。
「殿、下総との境、市原ならば良いかと思われます。土地も比較的なだらかで、城下を発展させるというのであれば、絶好の場所と思われまする。」
「市原か…。そうだな。では市原にしよう!」
そして続けた。
「では、先の方針に一部修正を加える。里見、正木の両氏は変わらず。特に里見殿は北条の動きにも警戒を怠らぬよう。」
「はっ!」
「宝は、お猿、雅、太郎と共に久留里城下の開発にあたれ。」
「かしこまりました!」
「太郎丸。そなたは久留里城の改修じゃ、紋次郎、小十郎を付ける。」
「分かり申した!」
「半兵衛は、条星、セバスチャンと市原に赴き、砦の建築にかかれ。」
「…はい。」
全ての命を言い終えたあとで家臣たちが見つめる中、おめぐは立ち上がり城の外を眺めた。

 いつしか散々に降っていた雨は止み、陽が照りつけていた。おめぐが望む西の遠方には、傾きかけた太陽の光を受けキラキラと輝く穏やかな初夏の海が広がっていた。その海の更に西方に思いを馳せ、おめぐは目を閉じるのであった。



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