「異聞・戦国録-外伝-」EPISODE・弐-3 半Be先生作

 ヨハンが日本での第一歩を印した日の夕暮れ。場所は武蔵と相模の国境のやや人里を離れた場所にある山林へと移る。一人の旅の僧が大木の影に姿を隠し盗み見るようにじっと一方向を見据えている。僧の視線の先には小さな小屋がある。更に、小屋を挟んだ反対側の木陰からは黒装束を身に纏った数人が小屋に注意を傾けていた。
だが、旅の僧と黒装束の男達はお互いの存在には気付いておらず、ただただ小屋に気を取られている。
一方その注目の的である小屋の中では、年老いた僧とまだ若い僧が囲炉裏をはさんで会話していた。
「…どうあっても…。」
と、しばらくの沈黙の後、老僧が話しはじめた。
「当家に貴方の力は貸してもらえないのですな?」
「はい…。申し訳ないのですが…。」
若い僧が簡潔に答え、続けた。
「私しには、過去に争ったことのある者へ仕え、禄を食むようなことはできませぬ。」
「しかし、今は戦国の世。そのような事をいちいち申していては、立身出世が叶いませぬぞ。」
「私は立身出世など、あまり考えませぬ。それ故にこうして僧となったのです。」
「そうですかな…?拙僧は、貴殿には御舎弟があり、家督をめぐっての無用な争いを避けんがために、
その若さで出家したと聞き及びましたが…。弟君が居られなければ、貴殿がそのまま家督を…。」
そこまで話を聞くと、若い層は目を鋭くして老僧を見つめた。
「もう、過ぎてしまったことでございます。」
「ふう…。まあ、そこまで当家に仕えたくないと申されるのであれば、この上に説得は致しませぬ。
 ただ、御心変わりしましたら、是非とも一報くださいませ。漂雲殿。」
そう言うと、老僧は出されていたお茶を一口飲み、席を立った。
「それでは漂雲殿…。いつかまた、お会いできる日を楽しみにしております。」
そのまま、老僧は小屋を出た。漂雲と呼ばれた若い僧は座ったままではあるが、深々と頭を下げた。

 小屋の扉が開くと、小屋の外に居た者達に緊張が走った。外で見ていた僧は小屋から出てきた老僧を目で追う、
老僧は小屋からしばらく進んだところで立ち止まり、向こうの茂みの方を向いた。すると、茂みから黒装束の男達が老僧の周りに集まり、何かの指示を受けると、すぐに全員で茂みの向こうへと去っていった。
次の瞬間、僧は背筋が凍る思いをした。何と、離れた場所にいる老僧の目がこちらをしっかりと捕らえたのである。
『しまった!!!』
僧は死を覚悟し、目を閉じ自分の背後に気を配った。しかし、特に変わった気配はない。そこで、目を開き老僧を見ると、老僧は僧に向かい軽く会釈をしてその場を足早に去っていくのであった。僧は早く打ちつける鼓動が収まるのを待って小屋へと向かって歩き始めるのであった。
小屋の中では客人の相手を終えた漂雲が書物を熱心に読んでいた。すると、小屋の扉が開き
「漂雲殿の小屋はこちらですかな?」
と声がした。無論声の主は先程の僧である。その声に漂雲は驚きを隠せずに思わず書物を閉じ、立ち上がった。
「て…哲坊和尚!い、いや、お師匠殿!!」
表に居た僧は、おめぐから人材発掘の命を受けていた哲坊だったのである。
「しばらくだったな。漂雲斎殿。御じゃましても良いかな?」
「ええ。勿論です。ささ、どうぞ。」
漂雲は新たな来客である哲坊を招き入れた。哲坊は漂雲の向かいに座ると早速話し始めた。
「息災で何より。ところで、今しがたここを訪れていた老僧、あの者は?」
「ああ、あれは、北条の間者です。私に北条家への仕官を勧めに参りました。」
「ほほー。で、大名家に見込まれたお主は仕官するのか?半兵衛殿は(笑)」
「冗談でしょう。私はかつて蘇我砦で北条群を追い払った張本人達の一人ですよ。それにその名前はやめて下さりませ。今は漂雲という無名の僧ですよ。」
「ほー。だが、その僧の漂雲殿が読んでいるのは、経典ではなく、兵法書の類とお見受けするが…。」
「!!!」
痛いところを突かれ漂雲は先ほど読んでいた本を片付けた。書は李衛公問対と記された、中国の古典兵法書であった。
「こ、これはですな……。」
「ははは。まあ良い。だが、わしも然るお方からの命でお主に仕官を勧めに来たんじゃ。」
「また。ご冗談を。私には何処の誰ぞに御貸しできるような力はありま……。」
そう言い掛けたとき、哲坊の目が漂雲の目を睨みつけた。
「半兵衛殿!わしは上総介おめぐ殿から命を受けたのじゃ。お主もあの女将の力を分かっておろう。」
「分かっております。だからこそ、私など力になれるはずが……。」
「そうではない。おめぐ殿が望んでいるのは、補佐はもちろんなのだが、それ以上に求めているのは結束力の強い家臣団なのじゃ。それ故に、心から忠節を誓ってくれる人物を探しておいでなのじゃ。」
「………。」
「それとな。言いにくい話だが、お主は嫌でももう直ぐ、荒城田家へ戻るか、荒城田家を潰すかの選択を迫られることになる。」
「!!!…どういうことですか??」
「うむ。ここへ来る途中に下総の荒城田家の様子を見て参ったのだが、お主の弟の秀盛殿はここの所病がちで、
 長い間寝込んでいることも多いそうじゃ。秀盛殿本人は平気と嘯いておるが、わしの見るところ、もう、長くはあるまい。。。」
「!!!!!」
漂雲の表情が硬くなった。哲坊は続ける。
「わしはお主に上総介家への仕官を強要するつもりもないし、再び荒城田家当主へ就けと強制もせぬ。じゃが、今一度、世に出て見ぬか?お主がこの二年余りで歩き、見てきたこの世を変える可能性を見出してみぬか?」
哲坊の言葉に熱が籠る。
「その可能性を、上総介おめぐ殿は秘めていると、お主も思ったはずじゃ!だからこそ、お主は家督を譲る前に、荒城田家は上総介家に下るように秀盛殿に指示してきたのではないか??」
「……………。」
漂雲はまだ黙したままである。哲坊はそのままお茶をごくりと飲み干し、大きく一息つくと言った。
「そういえば半…、いや、漂雲殿、この小屋はわし一人くらい泊まれるか?」
突然の違う話に漂雲はやや驚きながら
「は、はい。可能です。暫らくゆるりとしていても平気ですよ。」
「いやいや、わしは明日には上総への帰路につく。」
「おめぐ殿からの人材発掘はもうお済みで?」
「いや、解らん。帰路の途中でよい人物に出会えるかも知れぬしなあ。」
「そうですね。」
「うむ。では漂雲殿、わしはもう寝ようと思う。」
「わかりました。では、寝所の用意でも…。」
と、漂雲が立ち上がろうとすると、
「よいよい。布団くらい適当に敷いて寝る。ははは。」
「左様ですか。では、ごゆっくり。」
そう言うと、漂雲は腕を組み考え事を始めるのであった。
翌朝、哲坊と漂雲は一緒に草庵を出ることとなった。漂雲が下総の本家の様子を伺いに行くといったからである。
「漂雲殿、昨晩はほとんど寝ておらぬだろう?」
「…はい。不意に考え事が多くなりまして。。。」
そう話しながら、漂雲は荷物を整理する。その殆どが書物である。その姿を遠目に見ながら哲坊が言う
「まさか、その書物を全て持って行く訳ではないであろうな。」
「まさか。殆どは置いてゆきます。もったいないことですが。。。仕方ありませぬ。」
「しかし、まあよくもその様に書物を集めたのぉ。」
「病ですかな。。。(笑)」
軽く笑いながら漂雲は厠へと出て行った。哲坊は漂雲が居なくなった書棚の前へと足を運び、様子を観察すると肩の力を抜いて元居た場所に戻った。
しばらくすると、漂雲が戻り、
「では、お師匠、ゆきますか。」
と、漂雲は荷物を担ぎ草庵を出る。哲坊もそれに続く。哲坊が表へ出ると、漂雲の足取りがややふらついているのが見えた。
「漂雲。もっと、荷を少なく出来なかったのか?」
哲坊がそう言うと、
「はい。これだけは持ってゆかねばなりませぬ。」
漂雲は答える。その漂雲に並び哲坊が再び尋ねる。
「漂雲。本当によいのか?」
その問いに漂雲は真直ぐに前を見つめ、ただただ黙って頷くのであった。その漂雲の顔を見て、哲坊は満足した表情になった。
哲坊が漂雲の荷作りを伺ったとき、書棚に残っていたのは全て仏教書で、荷の中身は兵法書や算術書などばかりだったのである。
哲坊と漂雲の二人は東へと街道を急ぐのであった。



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