「大刑」第五話 刑部少輔@たか先生作

 ――いつしか四年の歳月が経ってございました。年も文禄二年(西暦一五九三年)と変り、私も二十一才となってございました。
 相変わらず私は吉継様の側女をさせていただいておりましたが、この間様々な事がございました。まず関白殿下が遂に関東の北条家を滅ぼされ、天下を統一なされた事。その翌年、関白の御位を御養子の秀次様にお譲りになられた事。その後昨年になって、太閤となられた殿下と淀の方の間に、待望の実の御子息が誕生なされた事。また最近の事で申せば、太閤殿下がにわかに朝鮮征伐を呼号なされ、天下の諸大名十六万の大軍をもって朝鮮に攻め入った事など。
 吉継様は太閤殿下の御奉行でございますゆえ、この事あるごと様々な任にあたらねばなりません。自然この敦賀よりも大坂に居られる機会が多くなってございました。朝鮮征伐の折りなどは、石田治部少輔様などとともに、病身をおして自ら朝鮮に渡られたのでございます。
 ――この様な天下の情勢をよそにして、吉継様と私の関係は、以前と何ら変わりないものでございました。御帰城の折り、暇がおありになれば呼ばれて物語などをする、ただそれだけのものでございました。お疑いになる方もございましょう。けれどこれは本当の事だったのでございます。
 いえ当時から、皆様当然の様にそう思われているふしがございました。これほど長く側に仕えているのだからもちろん吉継様のお手がついているのだろう、と。――けれど実際は、本当に何事もなかったのでございます。私が思いまするに、吉継様はこの年まで――この当時吉継様は三十五才でございました――女というものを御存じなかったのではないでしょうか。吉継様は自らの醜さを恥じ、わざと女を近付けない様にしているふしがございました。吉継様の子供っぽさというのは、こんなところにも理由があった様に思えるのでございます。
 さて。朝鮮の陣から御帰国なされ、その後始末も終った吉継様が、お久し振りに御帰城なされたある晩。夏の、寝苦しいほど蒸し暑い夜でございました。私は吉継様の御座所に呼ばれたのでございます。
 いつもの様に吉継様の前に一人平伏し、
「面を上げよ」
 という吉継様の声でその姿を見上げた私は、はっといたしました。
 やはりその日も吉継様は、この蒸し暑さにもかかわらず顔全体を晒しで巻かれ、目だけが虚空に浮かんでいる様でございました。私がはっとしたのは、一年ぶりに見るそのお姿が、一段と老けられた様に思えたからでございます。
(声にも張りがない……)
 もともと吉継様はその御病気のせいで、実際の御年齢より上に見えた事は事実でございます。けれどその低音のお声は響き渡る様で、まるで颪風の様に思えたものでございました。
 その日の吉継様はまるで別人の様でございました。まるで秋風の如き佇まいでございました。背中を丸める様にして座って居られるお姿は一回り小さくなられた様。唯一見えるその光る瞳も、赤い濁りを増している様に見えました。さらに悪瘡が破れたためか、少し離れた場所でも臭気が漂い、厚手の白い晒しにも所々膿が浮かんでいるのが分かりました。
「千代、久し振りだな」
「はい。――お屋形様にもお変わりなく……」
 私の挨拶を聞くと、吉継様は初めてふっとお笑いになりました。
「変わりない? ――そうかな?」
 私は当たり障りのない挨拶をしたつもりだったのでございますが、最前はっと驚いたほどの変られ様。当然吉継様御自身、気づかれていないはずはございません。
(しまった……)
 とは思いましたが、もう遅い事でございました。
 俯き黙っている私に、吉継様は、
「此度の戦、少々こたえたわ」
 とだけ言われました。
 確かに大病を患っておられる吉継様には此度の朝鮮の陣は厳しく、御病気を悪化させてしまった事は否めない事実でしたでしょう。けれど吉継様は、
「違う」
 と仰せられました。
「確かに病身の俺には、戦場は厳しかった。だが、こたえた、と言ったのはその様な事ではない。違うのだ」
 吉継様が衝撃を受けられたのは、此度の戦場にあっても、結局吉継様には何の持ち場も与えられなかった、という事でございました。吉継様は石田治部少輔様とともに、後方にあって兵粮・弾薬・兵船等の手筈を整えるお役目を、太閤殿下から仰せつかったのでございます。
 無論、この様なお役目が重要な事は申すまでもありません。この様な係り無ければ戦場が保てず、むしろ戦場で武功を上げる事よりも大切なお役目であったかも知れません。けれど戦功を上げる事が常々の夢だった吉継様にとっては、戦の持ち場を与えられなかった事は、やはり身にこたえる事だったに違いございません。
「俺は上様を見損なっていたのかも知れん……」
 吉継様は容易ならぬ事を仰せになりました。
「昔上様は、俺に百万の軍を率いさせてみたい、と仰せになった。俺は一途にそれを信じて来た。けれど所詮、それは口先だけの事だったのではないか……。巷間言われる様に、人たらしの手段だったのではないか……」
 私は、老人の様に背中を丸め、くどくどと呟かれる吉継様の言葉を、黙って聞いておりました。
 吉継様がこの様な事を言えるのは、女の私しかいないのでございます。もし家中の者にこんな愚痴をこぼせば、巡り巡ってどの様な事になるやも知れません。最悪、太閤殿下御自身のお耳に入らないとも限りません。また、私にこの様な事を仰せになるのは、余程私の事を信じて下さっているのだと思えば、この長い愚痴も苦にはなりませんでした。
「それとも――」
 そう吉継様は仰せになり、その後長く沈黙なされました。
「やはり俺には――、自分の思っている様な、軍才などというものは、無いのだろうか……」
 吉継様は、ようやくそう吐き出されました。
 これこそが、吉継様が最も恐れていた事なのでございましょう。御自分の才に対する不信。信頼していたお方に理解されていなかった苛立ちよりも、もっと根源的な恐怖とでも言うべきもの。それが吉継様を襲っていたのでございましょう。
 私は掛ける言葉も見つからず、ただ黙って吉継様のお側にいる事しかできませんでした。
「ともかく――」
 吉継様は苦し気に口を開かれました。
「最早再び戦場に巡り合う事はあるまい。俺は最後の戦機を逃したのだ。――天下は定まり、俺の命もそう長くはない」
「何をお気の弱い!」
 たまらず私は、そう声を上げました。
「いや、よいのだ。――この病根が、俺の中で大きく枝を広げ始めている。だが命を失う事は恐くはない。ただ俺がこの世に生を受けた証しを残せなかった事だけが心残りだ」
「お屋形様は身を興して越前敦賀五万七千石のお大名になられたお方ではございませんか。これ以上の証しがございましょうか」
 私がそう申しますと、吉継様は初めてやや顔を和らげさせた様でございました。
「千代。たとえ大名となろうとも、漢が一度生を享けその志を果たさずば、一体それに何の意味があろうか。――もうよい。千代、下がれ」
 吉継様のその仰せに、私はもう一度その御前に平伏し一礼してから、御座所を辞去しようといたしました。その時、戸に手をかけた私に、後ろから吉継様のお声が掛ったのでございます。
「千代、お前も早二十一になるな」
 私は振り向き、
「はい。それが?」
 と答えました。
「そろそろ嫁に行かねばならぬ年頃だ。――俺も今まで考えぬではなかったのだが、ついこの年までお前を引き留めてしまった。それと言うのも、お前が実に良く使えてくれたからだ。礼を言うぞ」
「何を今更……。――勿体無うございます」
「いや本当だ。感謝している。だがそろそろ婿殿を探してやらねばならんな。このままいかず後家にしては、この吉継、死んでも死にきれん」
「本当に。お恨み申し上げまする」
 私は笑ってそう申し上げました。冗談だと思ったのでございます。また、冗談をおっしゃられるほどにいつもの元気が出られたかと、ほっといたしたのでございました。けれど、それは冗談ではなかったのでございます。
 その後二月ばかりが経ち、落ち葉の目立つ季節となりました。夏の間というもの吉継様の病は徐々に悪化し、一時は日常の立ち振舞いも人の手を借りねばならないほどでございましたが、秋風が吹き気候が和らぐにつれ、段々と元のお元気を取り戻された様に見受けられました。
 その日私はお昼過ぎに、いつもの様に吉継様のお召し物をその御座所に運びに参りました。するとそこには珍しく吉継様がいらっしゃいました。
「千代か……」
 戸も閉め切ったまま、薄暗いお部屋の中にぽつんとぼんやり座っていらした吉継様は、私の気配に顔を上げるとそう呟かれました。この頃には吉継様の両眼は、ほとんど光を失っていらしたのでございます。
「はい」
 と私が答えますと、吉継様は微かにうなずかれました。
 普段のこの時間、吉継様は御政務を執られるため、このお部屋に居られる事はほとんどございませんでした。病身とはいえ、領主としての責務をお座なりにする事のできないお人柄なのでございました。ですからそこに吉継様が居られた事に、私はちょっと驚きました。
「今日はちょっと疲れてな」
 私のそのちょっとした戸惑いに、吉継様はそう答えられました。相変わらず人の心の動きに敏感なお方でいらっしゃいました。
「ここで休んでおる。――だが、それほど大した事はない。案ずるに及ばん」
「はい。――お召し物をお持ちいたしました」
 うむ、と吉継様はうなずかれると、
「ちょうどよい。お前に話があったところだ」
 と仰せになりました。
 そのおっしゃられ方に、何かいつもと違う雰囲気があった様な気が、私にはいたしました。無論吉継様は普段から馴れ馴れしく話す様な事はございませんでしたが、いつもより少しばかり他人行儀な言い方に聞こえたのでございます。私はちょっと緊張いたしました。
「お前の今後の身の振り方についてだが――」
「はあ……」
 突然何を仰せあるかと、やや呆然としている私に構わず、吉継様は続けられました。
「三郎の元へ嫁に行け」
 三郎とは御家老衆の前田様のお名前にございます。あまりに突然、意外な仰せに私は二の句も継げませんでした。私には全て初耳だったのでございます。
「最早、三郎にも話は通じてある。――善は急げともいう。婚儀は来春に行うが良かろう」
 そう吉継様は、うむも言わせず、独り合点に決めてしまわれている様でございました。
 やがて吉継様は、呆気に取られ呆然と言葉を失っている私に気づかれると、
「何か不満があるか?」
 と尋ねられました。
 そのお声にはっと我に返った私は、
「い、いえ……。その様な……」
 としどろもどろに申し上げました。
 それを聞くと吉継様は大いにうなずかれ、
「お前もよく存じておろう。あれは良い男ぞ」
 と仰せられました。そのお声の調子からも、吉継様には悪気は微塵もなく、ただ私の事を第一に考えて下さっている事は明白でございました。
 実際これはいいお話でございました。前田様は私より十ばかり歳が上でございましたがまだ妻子はなく、真面目でお人柄がよろしいお方である事は、私もよく存じあげております。それに第一前田様は御家老衆の御身分。郷士の娘である私が、その家に嫁げるというのは破格な事でございました。
 でありながら、私は嬉しさよりも、何か釈然としない思いがございました。それは事前に私に、全くお話しがなかったという事もございましょう。――けれど、他に理由があった様な気がするのでございます。
 私は、自分が結婚するなど、考えてみた事もございませんでした。ただ漠然と、このまま吉継様のお側で、一女中としてそのお世話をしながら一生を送るのだろうと思っておりました。吉継様が私を必要とされているのなら、それで構わないと思っていたのでございます。
 私はやがて顔を上げ、吉継様のお顔を正面から見詰め、
「お屋形様は……」
 と申し上げました。
「お屋形様は、それでおよろしいのでございますね?」
 吉継様は瞬間すっと目を細められ、しばらく黙しておられましたがやがて、
「無論だ。幸甚この上ない、――と思っている」
 と仰せになりました。
「それならばよろしゅうございます。この千代に異存はございません」
 私はそう言い残すと、振り返りもせず御前を後にいたしたのでございます。ですからその時吉継様が、一体どんな御様子であられたのか存じ上げません。けれどその後、なぜか無性に悲しく、涙がこぼれて来るのを止める事ができなかったものでございました――。



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