『一番槍異聞』 司馬ごくたろう先生作

俺はこの日を待っていた。
いよいよ、あの男に復讐する日が来たのだ。
あの顔は忘れない。
忘れるはずもない。
そう。
菩提寺で修行をしていた時、あの男がやってきた。
あ奴はこの俺を辱めた。
どのように?
そんな事はどうでもいいが、この際教えておこう。
あやつらは俺の父虎胤を侮辱したのだ。
武田のもうろく親父と。
口論となり、口論では収まらず俺はあ奴に斬りかかった。
あ奴はいつも何人かの従者を従えていた。
その時も七人に囲まれていた。
多勢に無勢、敵うはずもない。
それでも赦しておけなかった。
五人までは斬り倒したはずだ。
だが、そこまでであった。
騒ぎを聞きつけ他の奴らも集まってきた。
俺は一目散に逃げだした。
あれから俺は流浪の旅に出た。
付き従うのは農民上がりの弥蔵ただ一人。

永禄三年、俺は尾張の落合村に身を寄せていた。
何もない静かな寒村だが、先日来、妙に騒がしくなってきていた。
戦が始まるという。
戦というのは、さほど珍しいものではない。
この地は尾張の織田の支配地と三河の松平の支配地の境に位置するから小競り合い
程度の戦は度々見ているし、そのうち何度かは俺も槍をもって戦った。
だが今度ばかりは違う。
三河を併呑した駿河の今川が三河を通過し尾張にまで攻め込むというのだ。
それも未だかつて無い大勢力で攻めてくるというのだ。
この大軍の大将には今川の当主…あの義元…あ奴が自ら出馬してくるらしいのだ。

いよいよ今川が尾張に差し掛かろうという頃を見計らって俺は槍を取った。
「甚内様。今回はどちらへお味方されるので?」
傍らの弥蔵が問いかけてきた。
「考える迄もない。織田よ。たわけ坊主の味方をするのよ。」
「ですが今回、織田に勝ち目は無いのでは?」
「ああ、負ける。このママではな。だが織田が負けるか勝かは俺の手に掛かってるのさ。」
「はぁ。なにやら策でもあるのでございましょうか。」
ついてこい。
俺はそれだけの返答で弥蔵を黙らせた。
いよいよ俺の才覚が問われるのだ。

大たわけ。うつけ坊主。と異名をとる尾張の大将、信長。
だが、俺は見抜いている。
奴は単なるたわけ者ではないことを。

毎日このあたりまで馬を走らせて来る。
村人達に話しかけ四方山話などに花を咲かせている。
奴はそうしてこの挟間の地形などを隈無く探っているのであろう。
俺自身、義元を討つにはここが絶好の場所だと思っている。
皆は奴をうつけと呼ぶが、俺と同じ場所に目をつけたのだ。
ただ者ではあるまい。

あとは奴、たわけ坊主の戦の技量よ。
それが解らぬ。
義元の喉元に刃を突きつけることができても、頸をはねるまでに至らなければなんの意味もない。
だから、それは俺がやる。俺の手で実行するのだ。

俺は槍を担ぎ弥蔵を連れ熱田の宮へ行き、奴を待った奴は必ずここへ来る。
ここで待ちかまえるのだ。
あとからのこのこ付いていったのでは最前線に出られぬからな。
それでは勝機を失ってしまう。

やがて幾つかの蹄の音が近づいてきた。
奴だ。
俺は奴の真ん前に立ちふさがった。
「誰だ!」
甲高い声が響く。
奴の声だ。
「落合の桑原甚内と申すものにございます。」
俺はうやうやしく頭を下げて言った。
「桑原甚内と申すか。何用じゃ。」
「信長様におかれましては田楽挟間を戦場とお決めに成られていることと存じます。」
「ほう。なぜそう思うのじゃ。」
「そこが義元の死地にございますれば。」
「ほう。喜ばしいことを言うてくれるわ。儂の死地に成るかもしれぬがな。」
「ただ今の勝機は信長様にございます。」
「ほう。なぜそう思うのじゃ。」
「奇襲。義元の頸をはねればよいからでございます。」
「ほう。」
信長の声色が変化した。
やはり奴もそれを狙っていたのだ。
「桑原甚内、もとは駿河におりました。」
「ほう。」
「義元の顔も存じております。」
「まことか。」
信長の声色がまた一段と変化した。
「甚内。儂を助けてくれるのか。」
俺は答えず只、槍のみを高く掲げた。
「甚内。儂に続け。」
俺はうまく奴の側で戦列に加わることができた。

「甚内殿。」
信長の前から後ろへ下がった途端、声を掛けられた。
若い男が二人、近づいてきた。
声を掛けてきた男は服部小平太、もう一人は毛利新介と名乗った。
「今の話、まことか?」
と小平太。
俺は何も答えない。
答えないということは否定もしないということだ。
こヤツら義元の頸が狙いか。横取りしようというのか。
俺は二人を無視し続けたが勝手に付いてきた。

その時が来た。
義元の陣は田楽挟間で休息の中、突然の雨で右往左往していた。
信長の合図で俺達は一斉に躍り出た。
雑魚にはかまうな。
義元の近侍しそうな輩の顔は何人か知っている。
知った顔の奴らのいる方へ行けば義元自身もいるに違いない。
例の二人も付かず離れず付いてくる。

多くの雑魚達をかいくぐるといきなり空間が現れた。
空間の向こうに床几が於いてあり…いた!ヤツだ!義元だ!
俺は思わず奇声を発した。
槍を構えると義元めがけて突進した。
ぐさっ。
と、手応えを感じた。
だが槍の穂先は義元ではなく別の男の肩を貫いていた。
その男が義元の盾となって立ちふさがったからである。
くそっ!
槍を引いたが抜けない。
槍を肩にさしたままの男が俺をにらむ。
そうだ。
この男も知っている。
菩提寺で立ち回りを演じ打ち損ねた二人の片割れだ。
その男が一方の手で俺の槍を握りしめ離さない。
背中に痛みを感じた。
思わず槍を離してしまう。
次に脇腹に痛み。
次は頭だ。
意識が遠のく。
奴を。奴を討たねば。
さらに胸に何かを感じたがもう痛みはなかった。
奴を討たねば。

  桑原甚内。武田信玄の重臣の一人、原美濃守虎胤の三男。
  兄の原盛胤の命によって駿河に入り、臨済寺の雪斎和尚の弟子となる。
  甚内は小僧として菩提寺に入り義元とも顔を会わせている。
  ところが今川家の近習七人と口論となることがあり、口論では収まらず
  下僕の弥蔵と共に相手五人を殺してしまい逃亡の身となった。
  尾張の落合村に隠れ住んだという。
  『信長公記』など良質の文献には彼の名は記載されていないが、幾つかの
  文献には名を留めている。
  甚内の下僕の弥蔵も手傷を負ったが主人の死によって甲州へ帰還した。
  一般に義元一番槍をつけたのは服部小平太、討ち取ったのは毛利新介
  とされており甚内の名は出てこない。
  死んでしまった為、功績が後の世に伝えられなかったのであろうか。
  弥蔵が自分の主人の死を華々しく飾って伝えたのだろうか。
  信長は桶挟間の合戦が話題にのぼると必ず甚内の死を惜しみ讃えたとも
  伝わるが、真偽の程は定かではない。

(完)



メール 司馬ごくたろう先生にファンレターをだそう!!