『本能寺燃ゆ』 司馬ごくたろう先生作

「たぁ~けっ!」
怒号が頭上から降り注いだ。
ひ、ひぇ~っ。
私はつぶれた蛙の様にひれ伏したまま顔を上げることができなかった。
ま、また怒られてしまった。
殿はスグ怒る。
私が犯した些細なミスも見逃さない。
どうしてこんなに怒るのだろう。
確かに今回も私が悪かった。
悪いのは私であるということは認めるけれど、こんなに怒らなくてもいいのに。
どうしてこんなに怒るのだろう。
おなじようなミスをしても、あのバカ猿はこんな風には怒られない。
そうだ。
私もあのバカ猿のようにおどければ良いのだ。
良いのかな?
よし、やってみよう。
そっと顔を持ち上げる。
ひぃぃぃぃっ!
ま、まだ睨んでいる。
そんな目をして睨んでる相手にあのバカ猿のような振る舞いができるわけがない。
そうだ。
あいつはバカなんだ。
だから、あいつにはバカなことができるんだ。
でも、私はバカじゃない。
決してバカじゃない。
そうさ。
バカなはずはない。
考えよう。
バカじゃないから考えよう。
この場をどう乗り切ろう。
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう。
そうだ、もう一度顔色を伺ってみよう。
顔色みて考えよう。
私はそっと頭をあげた。

殿は笑ってる。
なぜ笑う?
笑う意味はわからないけど、なんとか乗り切ったのだろうか?
「おう!キンカン頭!」
頭上から殿の声が届く。
き、キンカン…頭?
キンカン、キンカン。
はて?なんの事だろう?
「キンカン頭よ。お前は本当に面白い頭をしているのぅ。」
キンカン?頭?面白い?
キンカン、キンカン。
ど、どう返答したらよいのだろう?
結局オチを見つけだせぬままオロオロしていると、さらに殿の声が聞こえた。
「そうだ。お前はな。柔軟性にかけるんだよ。」
は?
「真面目なのは良い。律儀なのは良い。堅実なのも良い。」
はぁ?
「だがの。柔軟に物事を考え行動することを忘れておる。」
はぃ。
「万事マニュアル通りに事は運ばぬものなのだよ。」
!それはなんとなく解る。
「物事がどんな展開をしようが、どのような結果をもたらそうが。
それらを瞬時に見極め次の行動を起こさねばならぬ。」
はい。
「どうすれば良い?」
は?
「皆、危機感がなさすぎるのよ。」
は?
「今、天下はこの信長の思うがままに事は進んでおる。」
はい。
「信長の指図を受け、指図通りに命じられたことをやっておる。」
はい。
「それで良いのか?」
は?
「儂が死んだらどうする?」
えっ!
「儂が何処へ消えたらなんとする。」
な、な、な、
「落ち着け!儂が消えるわけではなぃ!」
ほっ。
「何時、何事かが起きるのか。人には見当もつかぬ。」
はぁ。
「信玄は本当に死んだのか?」
え?
「本願寺は本当にあきらめたのか?」

「ばてれん共の銃口はこちらを向いてはおらぬのか?」

「権六は猿は儂を裏切らぬのか?」
ま、まさかぁ。
「まさかではない。」
…。
「何時、何が起きるかわからぬ。
何が起きてもそれに対処できるようにせねばならぬ。」
た、確かに。
「のぅ。十兵衛。お前を見込んでそのキンカン頭に問う。」
え?…み、見込んで!
「どうすれば…どうすればよいと思う。」
…。
「…。」
…。
こ、答えなければならぬ。
折角、殿が見込んでくれたのだ。
私に期待してくれたのだ。
どうしよう?
どうすればいいのか?
なんと答えればいいのか?
頭がぐるぐる回転し出す。
…。
「…。」
あ!殿がイライラし出した。
スグに答えなければまた怒られる。
怖い。怖い。
心臓がドキドキしてくる。
胸が苦しい。
胸が
「く、」
「なんじゃ?」
ドキドキし過ぎて思わず苦しいと声がでてしまった。
幸い、殿の耳には届かなかったようだが。
「く?なんじゃ?申してみい!」
く?
しまった。
少し聞こえてしまったようだ。
えぇい!ままよ!
「訓練にございます!」
しりとりゲームのように「く」から連想した言葉を思わず口にしてしまった。
殿の目が大きく見開かれる。
しまった!
また怒られるぅ。
「で、でかしたぞ!でかしたぞキンカン頭!」
え?何故か殿は大喜びのようだ。
「訓練かぁ。そうか。危機管理の訓練じゃ!」
え?
「危機管理の訓練を催せば良いのじゃ!」
なにがなんだか解らないけれど殿は喜んでくれている。
嬉しい。
褒められた。
何年振りかに褒められた。
ぽん!と信長は膝を叩き立ち上がった。
「防災訓練じゃ!十兵衛に命ず。」
どかどかと私の所まで歩み寄って私の耳に囁いた。
「儂を襲え。」
えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!
「でかい声をだすな。お前だけで内密に事を進めるんだ。」
は。で、でも。
「方法はお前に任す。」
し、しかし。
「夜襲でも毒殺でも拉致でもかまわん!」
は?
「皆の面前で行うのじゃ。皆の対応をみてみよう。」
は、はぁ。。。
私は思わぬ大役を仰せつかってしまった。

それからしばらくして宴が催された。
絶好のチャンスであった。
今回の宴は徳川殿をお迎えて催される。
今、京に滞在する信長配下が一同にあつまる。
しかも、あのバカ猿もいない。
あやつがいると事がややこしくなる。
上手い具合にその宴は私が采配することになったのだ。

宴が始まる。
殿も上機嫌。徳川殿も上機嫌。
今がチャンスだ。
にこやかに笑う殿に私はこう言った。
「殿。では本日今より例の訓練を行いたいと思います。」
途端、殿の顔色が変わった。
ちょうど魚の切り身を口へ運ぼうとしていたところだ。
その魚を箸ごと私に投げつけた。
「バカもの!」
殿は立ち上がると私の元へ歩み寄りバシっと蹴りを入れた。
「バカ!バカ!バカ!バカ!バカ!バカ!バカ!」
凄い形相で私を蹴る、殴る。
皆もあっけにとられているようで声一つあげない。
ど、どうしたことだ!
私は又、失敗を犯したのか?
何がいけないのか?
殿は何に機嫌を損ねてしまったのか。
執拗に蹴り続ける殿。
殿~ぉ。
私の目から一筋の涙がこぼれた。

その夜、皆が寝静まった頃。
私は殿の寝所を訪れた。
どうしても合点がいかなかった。
何故だろう?
何故怒られたのだろう?
それを聞きたかった。
それを確かめたかった。

寝所に案内されると殿は寝着姿で座っていた。
殿…。
私は殿の前に平伏した。
「何用じゃ。」
殿の口から静かな声が発せられた。
わかりません。
私はただ、わかりませんとだけ答えた。
しばらく沈黙が続く。
「わからぬか?」
殿の声がした。
気のせいか振るえるような小さな声だ。
「儂はな。危機管理と言ったんじゃ。内密にな、と。」
…。
「訓練と解っていれば皆、気もゆるむ。」
…。
「どうせ訓練じゃ。誰も死なぬ。誰も傷つかぬ。」
…。
「それでは困るんじゃ。」
…。
「気もゆるんだままの訓練なんぞクソ食らえだ。」
…。
「わかるか十兵衛!」
そうあったのだ。
私が間違っていたのだ。
今から訓練を始める等と宣言してはいけなかたのだ。
私が食事中の殿に襲いかかる。
皆、慌てて私を取り押さえようとする。
実は私は懐に刀を忍ばせていた。
宴の席に刀は持ち込みは御法度であった。
だから皆は丸腰。
宴の采配者の私だからこそ懐刀を忍ばせることができるのだ。
私が懐刀を振りかざす。
小姓や近習が駆け寄る。
私がとり抑えられる。
それでめでたし、めでたしという計画であったのだ。
私が甘かった。
それならばおもむろに私が殿に斬りかからねばならなかったのだ。
どうせ斬らぬとわかれっていれば、臆病な者でも身を挺して殿をお守りするふりをするであろう。
それを殿が望むはずがない。
私は体中が熱くなった。
嗚咽が洩れる。
泣いてしまった。
自分のバカさ加減が恨めしかった。
鼻をすする音。
え?
今のは私の鼻水の音ではない。
そっと顔を上げた。
殿!
殿が泣いていた!
と、殿。
「十兵衛。解ってくれたか。儂の気持ち。」
私はうなずいた。
大きく何度もうなずいた。
「お前に辛くあたりすぎた。」
め、滅相もございません。
「だがな。お前なら、お前だけは、儂の真意を解ってくれると信じていた。」
と、と、と、殿!
「だから。口惜しかったんだ。お前が。お前が勘違いしていたことを。」
と、殿。
私が、私が悪ぃございました。
私がバカじゃないなんて思い上がりもいいところでした。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
「わかってくれたか?十兵衛。」
私はうなずいた。
何度も何度もうなずいた。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
「よい。よい。わかってくれればよいのじゃ。」
殿の手が渡しを包んだ。
「どこでも良い。半月以内に火を放て。」
は…はい。
「皆にも報せるな。お前だけで内密に事を進めるんだ。」
はっ。
「儂にも報せるな。」
え?
「儂自身が危機管理もできずんば皆にも徹底させられぬからな。」
と、殿。
殿。必ずや。
今度こそ、必ずやご期待に添えるよう尽力致します。
そう言葉にはならなかった。
ただ、必ずや。
それだけを繰り返していた。
「よいよい。」
殿は私の方をぽんぽんと叩いてくれた。
「今夜はもう遅い。あとは任した。一任じゃ。」
私は泣きながら自分の寝所へ帰っていった。

それから数日の時が流れた。
私は内密に計画を進めた。
殿を襲う。
ごくわずかな配下にのみ、それを教えた。
ただ、襲うとだけうち明けた。
もちろん例のことは言わない。
皆、驚いていた。
戸惑っていた。
この計画の本当の意味だけは殿と私だけの秘密であった。

時はきた。
私は本能寺を襲撃した。
本能寺を兵が囲む。
「是非も無し!」
殿の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
殿の期待に応えねば。
絶妙の布陣を敷いた。
殿が私の為に泣いてくれたのだ。
殿が私の為に涙を流してくれたのだ。
殿の期待に応えねば。
紅蓮の炎が燃え上がる。
殿の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
行け!わが兵達よ。
これを訓練と思うな!
死にものぐるいで戦え!
殿の近侍達も命を賭けて戦うだろう。
すばらしい!
殿!
これですね!
この緊張感!
この緊迫感!
すばらしい!
殿の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
すばらしい!



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