『 ~ 又左、走る』 司馬ごくたろう先生作

「クソ坊主!叩っ斬ってやらぁ!」
ひぇ~っ!
怖いです。怖いです。
暴れん坊の前田の又左衛門殿がこっちに向かって走ってきます。
私、十阿弥めがけて、まっしぐら~っ!
な、な、な、なんて感心している場合ではありません。
に、逃げなければ!
「待てぇ~っ!クソ坊主!」
ひっ!
追いつかれてしまいました。
な、な、な、な何事でございましょうか?又左衛門殿。
ばくばく唸る心の臓あたりを抑えながら聞きました。
「頸を出せ!叩っ斬ってやらぁ!」
だ、だ、だ、だ、だから何で斬るんでありましょう?
「てめぇ!知らばっくれる気かぁ!」
わ、わ、わ、私が何かしたのでしょうか?
何か悪い事しましたでしょうか?
え?なに?
…こうがい?
笄のことでございましょうか?
え?みなさん、笄をご存じ無い?
説明申し上げたいのは、やまやまなのですが、今はそれどころではございません。
だって、ほら、鬼のような顔をした又左衛門殿が脇差に手を掛けて今にも抜こうとしているところ。
説明なんぞしている余裕はございません!

え?でも知りたい?
ん…。
ごめなさぁ~い。やっぱり、そんな余裕は…。
え?なに?
ホントはお前も知らないんだろうって?
ば、ば、ば、ば~か言っちゃぁイケマセン。
それぐらい知ってますよ。
脇差しの鞘の所に挿してある小道具ですよ。
耳掻きや髪掻きにだって使えるんでございます。
わからない?
ほら、これ!これですよ!これのことですよ~。
と、懐から小さな笄を取り出しました。
「あ゛~っ!」
と、隣で又左衛門殿がデカイ声を張り上げ。
それだっ!それこそ儂の笄だっ!」
え!?
「てめぇ~そんな所に隠し持っていやがったか!
やっぱり、てめぇ~が盗んだんだなっ!」
え?なに?おや?
そ、そ、そ、そんなぁ~。
言いがかりですぅ~。
これ、さっき拾ったんですぅ~。
ホントですぅ~。
あ、あぶないですぅ。
私は、恐る恐る笄を差し出した。

と、その時。
「どうした。何を騒いでる。」
背後から声がしたのでございます。
聞き慣れた声に振り返れば、そこには仲良しの佐々の内蔵助殿。
助かりました~内蔵助殿。
聞いてください、内蔵助殿。
又左衛門殿が因縁を付けるのでございます。
ほら、これ、この笄でございます。
先程、そこの隅で拾ったのでございます。
なにやら気品あふれる笄でございます。
これはさぞかし名のある方の落とし物に違いないと、これからお城に届けようとしたのです。
ところが、又左衛門殿が「それは儂のじゃ!盗んだな!」等と言いがかりをつけて斬ると申すのでございます。
まぁ、なんとご無体な。
助けてくださいまし、内蔵助殿。

「又左よ。十阿弥もこう申しておる。赦してやってはくれんか。」
やったぁ!内蔵助殿。
持つべき物は友でございます。
「と、とろくっさぁ~こと言わんといてくれ!
儂が勘違いをしておるとでも申すのんか!」
「まぁまぁ、そう興奮しないで。」
と、なだめる内蔵助殿。
「そう言うても又左よ。十阿弥が盗んだという証拠は無いでよ。」
「証拠ならある!現にコイツが儂の笄を持っとる!」
「けど十阿弥は拾ったと言うとる。」
そうだ!そう・・・ひぃっ!
又左衛門殿はまだ、こっちを睨んでおります。
「十阿弥。」
と、内蔵助殿はこちらを向いて小声で囁いたのでございます。
「十阿弥。はやく行け。ここは儂にまかせろ。」
お、お、お、恩にきますぅ~内蔵助殿~っ!
私はゆっくり後ずさりをすると、隙をついて一目さんに走り逃げ出したのでございます。
背後で「まてまて又佐~っ。」と内蔵助殿が又左衛門殿を引き留めていてくれている様子。
これなら坊主でも逃げおおせるのでございます。


はぁはぁ~。
ぜぇぜぇぜぇ~。
はぁはぁひぃひぃ~。
も、も、も、もう、ここまで逃げれば良いでしょう。ぜぇぜぇ。
やったぁ。
これが御仏の御加護と言うモノでございましょう。
・・・と。

一大事です!
大変な事を思い出しました!
大変です!大変です!
嘘がばれてしまいます!

先程、私、笄を拾ったと、これからお城に届けていこうとしたと申しました。
あれは嘘です。
嘘なのでございます。
拾ったのは昨日です。
昨日、又左衛門殿が落としていったのを拾ったのです。
とてもステキな笄でございます。
見事な笄でございます。
私は一目見て、欲しい!と、思いました。
だから又左衛門殿が落としたことは内緒にして懐にしまったのです。
そうです。
盗んだんじゃないんです。
拾って懐にしまい込んだだけなのです。
でも折角拾ったんだもの。
また落としてしまっては馬鹿みたい。
よし、名前を書こう!
自分の持ち物には名前を書く。
これは社会の鉄則だよ。

だから私は笄の端に「じゅうあみのたからもの」と、書いたのでございます。
今頃、又佐殿も内蔵助殿も気が付いているにちがいありません。
わなわな震えているに違いありません。
どうしましょう?
どうしましょう?

「おう!何を困った顔しとるん?」
またまた声を掛けられました。
大きくて甲高い、それでいて頼もしい声。
と、との~っ!
私の主、織田の信長様がいらっしゃいましたのでございます。
嗚呼、神々しい。
思わず見とれてしまいました。
いよっ!日本一っ!
「まぁまぁ、落ち着け。なんか悩み事か?」
おぉ!信長殿が身を乗り出しました。
相談に乗って頂けるような気配でございます。
おぉ!これぞ正しく御仏の御加護。
かくかくしかじか。
私は信長様に申し上げたのでございます。
昨夜、道端で笄を拾った事。
あまりに見事な笄に、思わず自分のものにしてしまいそうだった事。
思わず、名前を書いてしまった事。
でも、思い直して落とし主を捜そうとしてた事。
どうしても落とし主が見つからないので途方にくれていたら又左衛門殿がやってきて「それは儂のだ!」と言って奪っていってしまった事。
さらに自分が落としたのを盗んだと因縁をつけてきた事。
まぁ、少々、話に彩りを加えてみましたけれど対して違いはないでございましょう。
信長様も、
「まぁ犬の気持ちはわかるが、自分で落としたものは仕方がない。」
(犬とは又左衛門殿のことでございます。念のため。)
ほっ。
少々、話に彩りを加えてみました甲斐がございましたようです。

「まぁ、又左衛門殿も血気盛んはイイですが、ちょっと逸り過ぎのきたいがありますからなぁ。」
と、気が付くとまわりに同朋衆が集まってきていました。
皆、私の援護をしていただけるようでございます。
これだけの頭数と信長様のお声があれば、いかに又左衛門殿と言えど、ふふふふふ。

おっ!
噂をすれば何とやら。
又左衛門殿が走ってくるではないですか。
手にはやはり、あの笄を握りしめ。
「じ…ゅ…う…あ…み…ぃ~っ!」
今にも刀を抜かんばかりの勢いでしたが、信長殿の御姿に気が付くと、すと足を止めたのでございます。

「と、と、と、殿。」
「犬!何を騒いでおる?」
「と、と、と…、じゅ…じゅ…じゅ…う。」
「おいおい、落ち着け。」
ふふふ。流石の又左衛門殿も信長様の御前では大人しいようでございます。
「と…、じゅ…じゅ…う、こ…こ…うが、ぬ、ぬ、ぬ。」
息切れが激しそうでございます。
それとも、まだ焦っておるのでございますかな。
「もういい。わかった。だいたいの話は十阿弥から聞いておる。」
又左衛門殿は驚いたような顔をして信長様と私の顔を交互に睨む。
「じゅ…じゅ…う」
「だから、もういい。無理してしゃべるな。」
信長様はちょっと首をおかしげになり申されたのでございます。
「こやつも反省しておる。間がさしたのじゃ。赦してやれ。」
えっ?私の話も信じてなかったのでございましょうか?
「第一、坊主を斬ってなんとする?」
信長様は声を落としてつぶやかれました。
「坊主を斬るとな。切れ味はよいのだが…後味が悪いでな。」
は?後味?
信長様は坊主を斬ったことがあるのでございましょうか?
近くの同朋衆仲間に尋ねてみましたが、皆、肩をふるわせうつむくばかり。
な、何があったのでございましょう。
と、気を取られているうちに信長様は又左衛門殿を説得されてしまったみたいでございます。
でも流石は信長様。
信長様の手に掛かればいかなる猛犬も言えど飼い犬同然になってしまうのでございます。


ぽんぽん。
と、肩を叩かれた又左衛門殿はとぼとぼと帰っていきました。
その姿は徐々に小さくなっていきました。
なぁんだ。
たわいもない。
尾張随一のかぶき者、なんて呼ばれていても、この様ですか。
暴れ犬の名が泣きますな。
同朋衆がひそひそ声であざけ笑うておりました。。
だんだん、私にも開放感が。
なんだか自分が大きくなったようですな。
なんせ、あの暴れ犬の又左衛門を負かしたのですからな。
ははは。
弱犬め。
かぶき者、暴れん坊と囃されていても、所詮はこの程度。
よくもまぁ。
戦場でもこんな調子なんだろか。
あぁ、気持ちいい。
いままでぺこぺこしてた相手を罵るのは気持ちがいい。
ははは。

他人に大事な物を盗まれるような輩が、かぶき者とは片腹痛いわ。

段々声が大きくなってきていることに私は気が付きませんでした。
でも弱虫又左衛門はどんどん遠ざかっていきます。
少々声が大きくても大丈夫。
第一、相手に聞こえなければ陰口も楽しくないわい。

武士が一端、斬ると言ったからには鞘になんか納めるんかい?
殿から声が掛かったにしても、斬ると言ったからには納めるものか?
途中でやめるんだったら最初から斬るなんて言うなぁ~。
ははは。
どうせ嫁御貰うてふぬけてしまったんだろ~ぅ…

…。
…。
ぷつん。

どこかで微かな音が聞こえたような気がいたしました。

土煙が舞い上がります。
その土煙の彼方から何かがこちらへ突進してくるのでございます。
ま、ま、ま、又左衛門だ!
もの凄い形相!
「クソ坊主!叩っ斬ってやらぁ~っ!」
ひぇ~っ!

「犬っ!待てっ!」
信長様も制してくれますが、もう又左衛門の耳には届かぬ様子。

又左衛門はもう私の目の前です。
刀を振り上げ…
「成敗っ!」


ぐふっ。
…。
…。

                             (完)



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