「戦国の時代へ・・・」第19話 湘南B作先生作

車が霧に迷い崖から転落するという、きっかけにより現代から永録元年(1558年)織田信長が今川義元を破る、桶狭間の戦いの2年前の世界へタイプスリップしてしまった中嶋太郎達一行(本間利和、沖芳子、望月美貴)、藤吉郎(のちの豊臣秀吉)は、偶然か何かの導きか織田信長と会うことができ、中嶋太郎、本間利和、沖芳子、望月美貴の4人は客人として、藤吉郎は草履とりとして信長に召し抱えられることになった。
その後、秀吉は出世しついに一国一城の城主となり、私達も蘭丸、坊丸、力丸の教育も行うことになり、忙しい日々が続いた。

私達(利和、芳子、美貴に私)の4人は、岐阜の美貴の洋服屋で集っていた。
「でも、こうなることは分かったいたとはいえ、あの藤吉郎が一国一城の主だからな。」
私は口を開いた。
「小谷の城は山城だから人が集まらないとか言って、今浜ってところに新しい城を作っているみたいよ。」
利和はどこかで情報を仕入れてきたようだ。
「こんにちわ。」
そう噂をしているところへ、ねねが二人の子供を連れてやってきた。
「ねねっち、まだいたの?」
利和が聞いた。
「はい、どうも小谷の城には移りたくなくてわがままを言ってしまいました。
秀吉様は、長浜の城が出来るまで岐阜にいていいと言ってくれたので・・・。
「長浜!?、今浜じゃないの?
どういうこと、さるは今浜だって言っていたのに。」
利和が言った。
ねねは笑いながら
「利和さん、長浜と言うのは今浜のことですよ。
信長様にあやかって、今浜を長浜に改めたそうです。
あと、弟の小一郎様の名前を秀長と改めて、姓も木下から羽柴に改めました。
なんか、新しいことばかりでついていけないわ。
ややこしいし。」
と言い、少しばかり疲れた顔をした。
「ねねっちも偉くなったね。」
私が言うと、
「やはり、私は足軽の妻が一番気楽。」
「そういう、ねねさんがいいのよ。
がんばってね。」
美貴が言った。
「それはそうと、そこの子供は・・・・。」
芳子が言った。
「そうだ、忘れていたわ。
この子達、虎之助と市松という秀吉様の遠縁の子らしいのですけど、私が預かり小姓として育てることになったのですよ。
私には子供がいないでしょう。
そこで、信長様の小姓の面相を見ている芳子さんならなにか教えてくれることないかなと思って来たのですよ。」
この、虎之助はのちの加藤清正、市松は福島正則、両方とも秀吉の片腕として武功をあげ、賎ヶ岳の七本槍と証されるうちの二人である。
「時代も時代だし、あまり甘やかさないでのびのび育てればいいと思うわ。
まあ、この二人は問題ないやろ。」
芳子は答えた。
「ねねっち、今浜じゃないで長浜だっけ、築城祝いあげるよ。
どっちが言い。」
利和はそう言い、奥から物を取り出した。
利和の取り出したのもは鉄砲と茶器だった。
「本間、それどうしたんだ。」
私が聞くと、
「茶器は千利休という人からもらったの。
人と接するには一期一会の気持ちで接するべきだとか言って、やたらと親切な人だよ。
鉄砲は、最近の信ちゃんがいっぱい集めているから、取って来ちゃった。
3000丁集めるとか言っているから、一丁や二丁、無くなっても分からないよ。
といってもなかなか鉄砲も集まらないみたいだけどね。」
と利和が答えた。
「本間が持ってきちゃうから集まらないんじゃないの。」
私が聞くと、
「まず~い、そうかも知れない。」
と利和は笑いながら答えた。
「本間君も千利休から茶器をもらえるなんて凄いわね。
現代なら大金持ちだよ。」と美貴が言った。
「千利休ってそんなに凄いの!?」
利和は驚いた声をあげた。
ねねは遠慮していたが、利和が熱心に勧めるので、
「それじゃあ、茶器の方もらっていいですか。」
と言った。
「ねねさん、洋服もお届けしますわ。」
美貴も言った。
「ありがとうございます。
今、長浜の町も作っていますが、ちゃんと美貴さんの洋服屋も作りますので、長浜にも遊びに来てくださいね。」
ねねは言った。
「しかし、美貴ちゃんの洋服屋の支店も増えたな。」
芳子が言った。
「岐阜に、清洲、京でしょう。
今度は長浜。
あと、明智のみっちゃんに坂本城下にも作ってもらったわ。
坂本城下のはまだ行ったこともないけど。」
「そういえば、利家殿とお松殿の城下にも作ると言ってたよ。」
とねねが言った。
「全部で6の支店か。
まずまずだわ。」
「数はあっても、開いているのは1店やね。」
芳子が突っ込むと、
「私は1人しかいないから、1店しか開けないわ。
開いていても、遊びにくる人ばかりで商売にはならないし。」
美貴が言った。
「最近はお市さまからの注文があるじゃん。」
私が言うと、
「お市様は最大のお客様だわ。」
美貴は答えた。
「長浜の洋服屋は市松と虎之助でやるか?」
芳子はいたづらっぽく聞いた。
「私たちは、刀や槍を振る武家奉公がしたくて来ました。
洋服屋などやりたくありません。」とはっきりと答えた。
「なかなか利発な子やね。」
芳子も感心した。
そうこうしているうちに月日もたちねねが長浜に移る日になった。
長浜の洋服屋も出来ているということで、私達もねねと共に長浜まで行くことにした。
長浜着くと、私達はねねとともに秀吉みづから、城の中を案内してくれた。
城の石垣が琵琶湖の水で洗われる美しい城。
港を作り船や人が行き交う様を見ても、この城下の発展して行くだろう光景は目に浮かんだ。
秀吉は得意満面だった。
城を一通り案内された後、久しぶりに会ったねねと秀吉の邪魔をするのもよくないということで、城下に作ってくれた洋服屋に戻ってくつろいでいた。
日も暮れかかった頃になり、部屋に明かりを燈そうとしたとき、ねねが飛び込んできた。
「ねねっち、どうしたの?」
私が聞いた。
「秀吉様に側室がいて、子供までいるのです。」と唐突に泣きながら言ってきた。
利和だけはすでに秀吉の側室のことを知っていたが、私達はその件について知らなかった。
「でも、あの子供、さるの子かどうかなんてわからないよ。
さるは自分の子だと言い張っていたけど。
なんか、おげれつな女だよ。」と利和は言った。
芳子と美貴はねねと一緒になって秀吉を愚弄した。
私は下手に口を挟むと墓穴を堀りそうなので黙っていた。
というより女性陣に圧倒された。
ねねは秀吉と離婚するなどと騒いだが、なんとか引き止め一晩洋服屋に止めて、翌日市松、虎之助が迎えにきたこともあり城に戻った。
その他にも、秀吉の母なかが城に来たりして、長浜城内はねね、なか対秀吉の側室千種の争い。
女性の戦いが勃発して、目を離せない状態だったので私達はしばらく長浜に滞在することになった。
長浜の洋服屋はねねとなかのストレス発散場所となった。
気に食わないことがあると、
「それでは、洋服屋行きましょうか?」とねねが持ちかけ、ねねとなかは洋服屋にやって来た。
ねねとなかと嫁と姑の仲がいいのが救いだった。
しかし、対立はそれだけではなかった。
他にも、洋服屋に愚痴りにくる二人がいた。
市松と虎之助だった。
市松と虎之助は同じ小姓の佐助(のちの石田光成)とのことで愚痴っていた。
これにはねねも手を焼いていた。
「市松と虎之助を佐助と仲良くさせるのはむだやわ。」と芳子が言った。
「しかし、将来の羽柴家を背負っていくであろう人たちが仲が悪いと言うのは・・・。」
ねねは心配そうだった。
その心配は的中し、のちのちまでこの争いは関わって来て、秀吉の死後爆発するのだがここでは省略する。
「でも、さると柴田のかっちゃんとも仲悪いしいいんじゃないの。」と利和は言った。
「家中で競い合うのは悪くないかも。」と私も言った。
確かにここで市松と虎之助と佐助を仲直りさせると・・・などとも考えたが結局は私達もそのままにしておくことにした。
なかも、
「子供なんか喧嘩しながら大きくなっていくものだ。」と言った。
長浜城内で、女の戦いや小姓の争いに関わっている最中にも、秀吉は一向宗征伐などの戦に明け暮れていた。
そんな折、岐阜より武田勝頼征伐の出陣要請が来た。
徳川の長篠城が武田軍に囲まれ、援軍要請が来たらしい。
「いよいよ、長篠の合戦やな。」
芳子が言い、私達には時代を変えたとも鉄砲と騎馬の戦いを見るために長篠に行くことににし、旅支度を始めた。
今回は勉強のためということで、蘭丸、坊丸、力丸の3人の子供も連れて行くことにした。



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