三國志VII 奮闘記 20

「外伝7」を先にお読みください。 


224年-9月

「真田幸村(ゆきむら)、見参!!」
真紅の鎧に身を包んだ敵将が、加礼王(かれいおう)の肩を踏み台に跳躍し叫んだ。
血塗られた長剣を振りかぶり、めがけて落下してくる。
このままでは、私の脳天は真っ二つにされるだろう。

桁外れの武勇だった。
幾重にも本陣を取り巻いたわが軍のぶ厚い包囲を突き破り、
只一騎でわが眼前まで辿りつくとは…。
やはり、狗奴族と真田一族との間に生まれた子という証であろうか。
真田一族伝来の忍びの術に加え、
誰に習ったか、中華の武術までが熟練の極みに達している。
このとてつもない力を持った武将こそ…
私は、咄嗟に叫んでいた。

「幸村!!わが、息子よ!」

振りつづける雨の中、雷鳴が轟きわたった。
途端、幸村の顔に、狼狽に似た表情が浮かんだ。
それまで焦点の定まらなかった目が、私の目を初めて捉えたように見えた。
しかし、落下の速度はゆるむはずもない。
私は、わが子に斬られるもまた運命と思い、身じろぎひとつしないでいた。
が、乗っていた馬が身の危険を感じたか、咄嗟に倒れこんだ。
矛先がずれたか、幸村は私の背後にある荷駄の上に落下した。
「ガッシャーン!!」
荷駄の上にあった大きな包みの中身が、鋭い音を立てて割れ、
中から多量の水が溢れ出した。
「ああっ!龍の方壺が…!」
側近が、絶叫に近い声をあげた。

「貴様!よくも!!」
前線から戻ってきた魏延が、呆然と立ち尽くす幸村に斬りかかっていった。

「哲坊殿、大丈夫ですか」
雅昭(がしょう)に助け起こされた。

雅昭は、先ごろわが陣営に加わり、今度の戦に同行していた。

「此度の長安攻め、是非ともご同行させてください」
宛城にて――
この男が私を訪ねてきたことで、私は使命を完全に思い出した。
高坂雅昭。幼き日、倭
(やまと)にて、ともに狗奴一族に仕えていた男である。
何十年ぶりの再会だった。お互い、もうすっかり年をとってしまったが、
その面影は忘れるはずもない。
彼は、私の記憶が戻るのを、ひたすら待ち望んでいたのだ。
「なぜ、もっと早く来てくれなかった」
私は、苦笑して尋ねた。
「記憶を無くされた哲坊殿が、荊州にて旗揚げされたと聞き、
 正直驚きました。私はその頃、河北にいましたが、
 哲坊殿が、どこまでやれるか見てみたかったのです。
 無責任なものですな、芸術の道に生きる者は…」
雅昭の答えに、私はじめ
諸葛靖(しょかつせい)、太郎丸(たろうまる)
紺碧空(こんぺきくう)ら、荊州時代からの古豪の士が笑った。
そして、雅昭は驚くべきことを告げた。
あの幸村は、私の子だというのである。
一座は、驚きのあまり沈黙した。
「紗弥
(さや)殿を、覚えておいでか?」
雅昭は、静かに問いかけた。

紗弥………。
その名を聞いたとき、記憶の底に沈んでいた甘美な記憶、
幼き日に嗅いだ桜の薫りが、脳裏に甦ったような気がした。
「もしや……」
「そうです。彼…幸村殿は、哲坊殿と、
 真田一族の娘・紗弥殿との間にできた子なのです」
そんな……。
私は、しばらくの間、言葉を発することができずにいた。
雅昭が続けた。
「勿論、私もあの時、哲坊殿とともに舟に乗ってこの大陸に
 渡ってきたので、そのことは知りませんでした。
 あの後、舟が台風に襲われて沈み、我々乗組員は散り散りになりました。
 私は幸いにも生き延び、徐州付近に上陸しました。
 そして都に上って絵画の腕を披露し、計らずも宮廷画家として召抱えられましたが、
 乱世の流れとともに都を捨て、流浪の旅に出ました。
 哲坊殿が生き延びていたことも、当時は知る由もありませんでした。
 私は流浪の末、河北へ辿りつき、そこに腰を落ち着けました。
 そこで、
条星(じょうせい)殿と再会しました」
「条星殿…潟上条星殿か…」
「はい。彼も生き延びていました。彼は、大陸と倭国の間にある、
 一支
(いき)国の倭人とやりとりし、常に倭の情報を得ていました。
 その時です。哲坊殿の討伐隊が、大陸に向けて海を渡ろうとしたものの、
 海賊船に襲われて全滅したと知ったのは。
 その中に哲坊殿の子、幸村殿も乗っていたと聞きました。
 幸村殿の後を追い、一支国へ渡った紗弥殿が
 条星殿へ書簡を送ってきたのです」
「でも、生きていたと…」
「そうです。哲坊殿や私と同じく、幸村殿も幸運の持ち主でした。
 おそらくどこかに流れ着いたのでしょう。
 それからしばらくして、
髭鏡(しきょう)殿の塾に逗留させてもらっているときのこと、
 呂布殿がそこを訪れ、ひとりの少年を置いていったのです」
「…………」
「なんというめぐり合わせでしょうか。
 少年は、幸村と名乗りました。しかし彼は記憶をなくしていました。
 私は、紗弥殿に書簡を送り、すぐにでも彼を連れて、
 哲坊殿のもとへ行こうと呼びかけましたが、しかし、紗弥殿は、それを拒みました。
 それは、あくまで幸村殿自身の意思に委ねてほしい、というのです。
 幸村殿は、類まれなる才知と武術の素質を併せ持っていました。
 その成長ぶりを見ていると、やがて彼は自身の力で
 哲坊殿を訪ねることも可能であると思われました。
 数年して、私は幸村殿に、哲坊殿が父親であることを告げました。
 やがて河北は戦乱に巻き込まれ、幸村殿は
紫龍(しりゅう)殿、
 
諸葛音(しょかつおん)殿とともに去って行ったのです。
 ここまでが、私の知っていることです」
雅昭の話に、皆はしばらく聞き入っていたが、
加礼王(かれいおう)が口を開いた。
「でもよ、幸村は哲坊殿を2度も危機に陥れていやがるんだぜ。
 いつかの長安での戦のときと、この前の暗殺未遂の時。
 自分の親を殺そうとするなんて、変じゃねえか」
「それは…」
雅昭が言いよどんだ。
「いや、それはこの前、彩乃…蔡援紀が話したとおりだろう」
私は切り出した。
「ああ…」
皆は思い出したようだった。彩乃が語った事実を。
鳳凰こと信幸
(のぶゆき)と幸村兄弟は、もともと私を殺すために
倭が送り込んだ刺客だった。
その記憶を呼び起こさせて洗脳し、殺意を増幅させたのが、
魏の
新荘(しんじょう)という男である。
「つまり、その洗脳を解けば、幸村は哲坊殿に対する憎悪の念が解けるのでは…」
上総介(かずさのすけ)がいった。 
「しかし、どうやって…」
一同は考え込んだ。
「やはり、その洗脳者・新荘を捕らえて聞き出すしかないのではありますまいか」
太郎丸がいった。皆も大体同じ考えのようであった。
「うむ…なるようにしかなるまい。皆も、あまり幸村のことは気にせんでよい。
 それよりも、わが軍は急ぎ長安を奪取せねばならん」
私は、重苦しい空気を消すようにいった。
「そうじゃ、長安を奪らねば…」

目の前を、幸村が乗った馬が疾風のごとく走り過ぎていった。
その後を、魏延と衛兵が追撃してゆく。
「殿、お怪我はありませぬか」
上総介、
幽壱(ゆうわん)らが駆け寄ってきた。
「大丈夫だ…」
私は立ち上がった。
腰をしたたかに打っていたが、それほどには痛まなかった。
降り続いていた豪雨が、いつの間にか止んでいた。

わが軍は苦戦の末、長安を奪取した。
魏軍は、わが軍と韓軍の挟撃を受けて全滅、
韓軍はどういうわけかずるずると後退し、長安を撤退、
東の弘農をも捨て、洛陽へと退いた。
わが軍は、勢いを駆って弘農まで進出した。
長安の守備を固めるには、弘農も制しておく必要がある。
この戦いで、魏は大将の曹丕、張コウ、徐晃、ホウ徳といった
主だった武将らが討ち死にし、壊滅的な打撃を受けた。
曹丕の跡は、曹叡が受け継いでいた。
わが軍も、
セバス孟獲が戦死し、かなりの打撃を受けていた。
韓軍は関平、
兀突骨らが戦死したものの最小限の被害しか出さずに撤退した。
そのまま戦っていれば、簡単には長安は奪れなかったに違いない。

魏軍の捕虜・香香(しゃんしゃん)、諸葛音(しょかつおん)が、私の前に引かれてきた。
「生き延びたのは女2人か」
香香は、私の目をまっすぐ見返した。
「あなたが、哲坊殿…」
「うむ、どうじゃ。今日からわが軍に仕えては」
「もはや私の仕えるべき主はございません」
「そうか、しばし考えてみよ。お主はどうじゃ?」
私は、隣で黙ったままの諸葛音にいった。
諸葛音は傍らに置かれた人形像を心配そうに見ている。
それは、すっかり汚れてしまってはいるが、
形状は損なわれていない立派な人形だった。
捕われる寸前まで、配下の兵が大事に守りぬいたものらしい。
「あれは、誰をかたどったものなのだ?」
「私の父、荀イクでございます…」
諸葛音は、初めて口を開いた。
「ほう、あの曹操に仕えていた軍師か。そなたの父であったのか…」
私は、人形を興味深く見つめた。
「諸葛音、その人形を大事にいたせよ」
私は、そういって2人の縄を解かせた。
香香、諸葛音は、わが軍に降った。

「香香、お主は新荘とともに魏に長年仕えていたようだな」
数日後、酒宴の席で私は尋ねた。
「はい。私も、そのことで哲坊様に話しておきたいことがありました」
香香は、杯を置いていった。
香香がいうには、新荘は催眠の術の使い手であるということ、
幸村にかかった催眠は、かけた者自身でなければ解けないということであった。
「すると、新荘と幸村を2人とも捕らえねばならないのか」
「はい…あるいは…」
「新荘を殺す…か」
私は、酒をあおった。
「ですが、新荘殿のことです。それ以外の方法でも、
 術を解けるようにしてあるかもしれません」
「それ以外の方法…?」
「たとえば、ある言葉を、哲坊殿が幸村殿に向かって叫ぶなど…」
「うむ…なるほど……」
私は魚の刺身を噛み砕きながら考えていた。

226年-9月

戦の後は、さまざまな事後処理に追われる。
とりわけ、都である長安、そして弘農の整備には時を要した。
多忙なまま、1年余りが過ぎた。

その後、私は魏に奪われた宛に出兵し、これを取り戻した。
そして後顧の憂いを絶つため、許昌も奪取した。
先の戦で大敗した魏には、もはや抵抗の力は残っていない。
司馬師、曹植、王経といった諸将の奮戦も空しく、魏は東へ後退していった。

その年の暮れ、韓が大兵団を洛陽に集結させているという報が入った。
私は、弘農に戻った。
そして、主だった重臣たちを召集すべく、各地へ使いを走らせた。

227年-1月

韓軍は、国境付近に集められるだけの兵を送り込んできているらしい。
弘農に諸将を集めた私は、新年の宴を盛大に催し、
あくる日、軍議の間にて評定を開いた。

諸葛靖、紺碧空、幽壱、上総介、太郎丸、許西夏(きょせいか、加礼王ら
最古参の面々、荒賢(こうけん)伊那猫(いなねこ)、香香、諸葛音、雅昭ら、
比較的新しい面々その他、孫権、陸遜、周泰、魏延、厳顔、祝融、
董允、呂蒙、そして先ごろ仕官してきた姜維という若者、
実に錚々たる面子が顔を揃えていた。
私は壇上にて諸将を見回し、口を開いた。
「荊州での旗揚げ以来、私は30年間、戦いに明け暮れてきた。
 思えば漢朝復興などの大義名分とは無縁であった。
 しかし、ひとつの旗のもとに集いしわが軍勢は、
 貧困と戦乱に喘ぐ民を安んぜんとし、天下制覇に向けて今日まで戦を続けてきた。
 決して楽な道のりではなかった。劉表、士燮、馬騰、孫策…
 幾多の列強国との戦いを乗り越えて、今日まで辿り付くことができた。

 皆の奮戦には、大いに感謝している」
諸将から、拍手と歓声が沸き起こった。
それが止むのを待ち、私は続けた。
「犠牲も大きかった。雨山、セバス、紋次郎、於我、蔡援紀、鳳凰、
 その他無数の兵の命を犠牲にして、私は今日まで生き長らえてきたのだ」
それを話すと、諸将は殊勝な面持ちになった。
「以前、『なんのために戦っているのか』と士燮に問われたことがあった。
 その時、私は悩んだ。悩んだが、答えは見つからなかった。
 その答えは、今もわからない。とにかく私は、何かに突き動かされるように、
 皆の期待に応え、中華の半分以上を統一した。
 今、残るは劉備の韓。そして曹叡の魏。その命脈は風前の灯火である。
 もう、私のやるべきことは終わったと思っている」
皆の表情に、驚きの色が現れた。
「殿!それはどういう意味で…」
上総介が叫んだ。
「ここで、皆に話しておかねばならないことがある。
 気づいている者もいると思うが、私は数十年前、
 この大陸の東に浮かぶ倭国から来た。
 倭は、ここと同じく戦乱に明け暮れる島国だ。
 戦乱で両親を失った私は、倭に伝わる秘宝・龍の方壺を奪い、
 叩き壊してしまおうと目論んだ。今から思えば、そんなことをしても、
 戦乱がおさまるとは考えられないのだが。
 壺を壊そうとしたとき、そこにいる雅昭殿に、背後から呼び止められた。
 雅昭殿はいった。『それを本来あるべき場所に戻せ』と」
「本来、あるべき場所?」
諸葛靖が尋ねた。
「そう。龍の方壺とは、もともとこの中華に伝わる秘宝だった。
 それを、はるか昔にわが倭の先祖、つまり中華から逃れた者たちなのだが、
 彼らが壺を持ち出してしまった。それ以来、この大陸でも、
 倭でも相次ぐ戦乱の世が訪れたのだ。中華では、漢帝国が400年栄えたが、
 それは黄巾の乱からはじまる、この乱世の前の前ぶれにすぎなかったのだ」
「では、このままわが軍が中華を統一すれば…」
「一時的には治世が訪れるだろう。しかし、長くは続くまい」
「では、どうすれば…」
「龍の方壺を、本来あった秦の始皇帝陵墓・地下宮殿の奥深くに戻す。
 対になった龍の玉座の中央に、元通りに置くことで、
 方壺に込められた、人間の欲望を封じ込めるのだ」
「しかし、先日の戦で、壺は…」
「……実はな、あれは万一のことを考えておいた偽物だったのだ。
 本物の壺は、私が旗揚げした零陵の城に置いておいた。
 驚かせてすまん。…おい」
一声かけると、兵たちが、軍議の間に壺を運び入れた。
「おお、これが龍の方壺…」
「意外と小さなものなのですな」
「まさに…」
雅昭はうなずいた。
壺は、人の顔ほどの大きさの、小ぶりなものだ。
「舟が沈んだとき、私は一切の記憶を失った。そして、壺のことも、その使命も。
 荊州に雌伏していたとき、これが零陵の民から贈られたときも、奮闘記1参照)
 私はまったく思い出せなかった。記憶が戻ったときは、本当に驚いたものだ。
 今まで誰にも与えず、知らず知らずのまま30年も
 零陵の宝物庫にしまっておいたままだったのだ。
 あの時、私の手に戻ってきたのも単なる偶然では片付けられまい。
 壺を戻し、何が起こるか見てみたい。いや、何も起きないかもしれん。しかし、
 私は今こそ、この壺を手に、地下宮殿に行こうと思う」
「始皇帝の地下宮殿…噂には聞いたことがありますが…」
「何処にあるのですか」
諸将の何人かが、口々に尋ねた。
「長安の東、始皇帝陵墓の地下深くにあるといいます」
雅昭が答えた。
そして何人かが、供に行きたいと申し出た。
「うむ。うれしく思う。しかしながら、地下宮殿は伝説によれば、
 始皇帝が70万人の囚人を使い、40年近くもかけて造った広大なものだと聞く。
 そして内部には侵入者を拒むための仕掛けや水銀の池があるという。
 生きて戻れるかは分からん。私は、皆を巻き込むつもりはない。
 だから、わが軍の兵馬の権を、この中の誰かに預けたく、皆を呼んだのだ」
一同は、沈黙した。
だがやがて、陸遜が口を開いた。
「わが軍はご主君なしには、動けません。
 その前に今一度ご采配を振るい、天下制覇を」
諸将も、同じことを口にした。
「だがな。私もはや54だ。もうあまり時間がない。
 生きているうちに使命を全うしたいのだ。分かってくれい」
「義兄、韓は再起の一戦に臨むべく、わが軍に最後の戦いを挑まんと、
 国境に兵を集めています。せめて、この一戦だけでも…」
諸葛靖がいった。私は、思案した。
確かに、その一戦に敗れるようなことがあれば、わが国の基盤も危うくなるし、
始皇帝陵の掘削もおぼつかないだろう。
ここで一気に韓を叩き、地盤を固めてから使命にかかったほうが賢明かもしれない。
「よし。わかった。この一戦に全兵力を投入し、韓を潰す。
 その後は、私は前線から身を引き、後任に兵馬を預ける。皆の者、よいな!」
「はっ!」
諸将は、一斉に立ち上がった。


春になり、洛陽方面が騒がしくなった。
劉備が自ら出馬し、韓の大軍18万を引き連れて進軍してきたのである。
わが軍もこれを迎え撃つべく20数万の兵力を動員し、洛陽へと兵を進めた。
両軍は、洛陽の西、函谷関付近の平原にてあいまみえた。 


 

 

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