三國志VII 奮闘記 6

 

蜀の大都市・成都に入った哲坊軍。
が、南北に強大な敵軍をひかえ、気の抜けない状態が続いていた…


 


207年-7月

「今さらなにをぬかすか!!」
は、バン!と机を叩いて立上がった。
そして、唖然と立ち尽くす士燮
(ししょう)の使者の前に歩み寄ると、
その顔面に拳を叩き込んだ。
まともに喰らった士燮の使者・李恢
(りかい)はふっとび、仰向けに床へ倒れ込む。
背後にいた
於我(おが)がそれを引き起こした。

「な、なにをなさる……」
李恢は左頬をおさえてうめいた。
わが軍は前年、馬騰軍との戦いで苦戦している所を、
背後から士燮に攻め込まれたのだ。多くの犠牲は払ったものの、
それをしのいだわが軍は、逆に士燮領に攻め込み、ここ成都を奪取した。
当然、士燮軍との友好関係もそれまでだった。
それなのに、士燮は形勢が不利と見るや、わが国に貢ぎ物を送って寄越し、
そして挙げ句に、この李恢を遣わし、和睦を申し入れて来たのだった。

「帰って士燮に伝えよ!わが殿は断じて貴様を許さんとな!」
於我は李恢の襟首をつかんで言い、突き放した。
「あの戦では多くの兵の命とともに、信義も失った。
 命があるだけで有り難いと思われよ」
紺碧空(こんぺきくう)も冷たく言い放った。
(皆、相当頭に来てるようじゃな…)
実は意外と冷静だった私は苦笑した。
李恢は震えおののいたまま、供まわりの者を連れ、
何も言わずあたふたと出ていった。

私は本拠地を、治安も良く街も栄えている、この成都に定めていた。
交戦中の馬騰は、成都の北、
梓潼(しどう)にて相変わらず兵力を貯え、虎視眈々と
侵攻の機会を伺っているようだった。
隣の江州は、
上総介(かずさのすけ・おめぐ)はじめ、
太郎丸(たろうまる)紋次郎(もんじろう)許西夏(きょせいからに任せていた。
両州とも、馬騰、士燮に南北を挟まれ、容易に動けぬ状態にあった。(
地図

諸葛靖(しょかつせい)はじめ、重臣らの意見は、大体同じであった。
北の強国、馬騰を攻めるのは難しい。
防備を万全に整えた上、まずは南の士燮を攻め、蜀全土を統べるべきだと。

8月の暑い最中、私はそれに従い、南征の兵を挙げた。
まず成都から、南の雲南を攻めることにした。
於我、諸葛靖、
餡梨(あんり)、甘寧、孟獲、祝融を連れ8万の兵を雲南に向けた。
成都には紺碧空、
幽壱(ゆうわん)を残し、馬騰に備えさせた。
雲南は士徽
(しき)、董和、程秉、董昭らが守っていた。
緒戦では、於我が董和を一騎討ちで打ち負し、
わが軍は怒涛のごとき勢いで雲南の城を攻め落とした。
士燮の子、士徽は解き放ち、董和を登用した。
それ以外の者は仕官を拒んだため、首を刎ねた。

一息入れる間もなく、
私はそのまま、雲南から西の永昌に大軍を向けた。
永昌は、かつての友、
加礼王(かれいおう)が2万の兵で守っている。
私は城下に迫り、彼に降伏をうながした。
しかしながら、彼も忠義の士。無条件で降伏には応じない。
ならば潔く決戦せん、と私は攻撃を命じた。
すると、加礼王も城門を開け、兵を率いて突撃してきた。
無謀だ。わが軍は、加礼王軍の4倍である。
乱戦に及ぶと、私は剣を抜き、周囲の制止をふりきって、
自ら愛馬・的盧
(てきろ)を馳せて敵軍に討ち入った。
「哲坊推参!出会え、加礼王!」
呼ばわると、加礼王も軍中深くから姿を現わし、
「応!いざ勝負。」と剣を抜き放ち、突進してきた。
剣と剣が、幾度となくぶつかりあった。
腕前は、彼も私もさほど変わりない。昔のままだった。
私は、彼に負けない自信があった。しかし、彼を討ち取る自信はなかった。
やがて、周囲の乱戦がやんだ。
加礼王の軍勢のほとんどは討たれたか、潰走していた。
何十度目かのぶつかり合いの末、両者はへとへとに疲れ果てていた。

加礼王は馬を止め、「もういい。やめたわ」
と肩で息をしつつ、笑った。
「はは。そうするか」
私も応え、剣を投げ捨てた。
永昌城の民がひれ伏す中、わが軍は加礼王の案内で入城した。

冬になろうとしていた。
ほどなくして、江州に馬騰軍が攻めて来た、という情報が入った。
「上総介や太郎丸たちならば、大丈夫であろう」
私は念のため、成都から紺碧空と幽壱に援軍を出すよう指示した。
その間、私は雲南に引き返し、建寧攻めの準備を進めていた。
上総介の守る江州は、馬騰軍の梓潼と、士燮軍の建寧に挟まれており、
早めに後顧の憂いを断たねば、いつ挟撃されるかわからない。

江州は、紋次郎、太郎丸の奮戦で、上総介がなんとか守り切っていた。
凌操が敵将・馬岱との一騎討ちに敗れ捕われた後、
戦線は膠着状態に陥っていたが、馬騰軍は雪のため、やむなく撤退したらしい。

そして、年が暮れた。

208年-3月

建寧攻めの準備が整った。私は雲南から8万の軍勢を発した。
甘寧を総大将に任じ、諸葛靖を参軍に、於我、餡梨、祝融を従わせた。
建寧には、先達て成都を守っていた徐盛以下、孟優、秦フクらが
6万の兵で待ち構えていた。
建寧の城の守りは堅く、容易には陥ちなかったが、1ヶ月に及ぶ包囲により、
城内の兵糧は枯渇し、ついに徐盛が白旗を掲げた。
ここに来て、名将・徐盛もようやくわが軍に加わる腹を決めた。

わが軍は、ここに蜀全土をほぼ手中にした。
残るは、士燮のいる交趾
(こうし)と南海である。
ところへ、士燮が雲南を取り戻すべく、軍備を増強していると情報が入った。
私は雲南で兵を養い、訓練し、夏にも交趾を攻めると宣言した。
8月、私は、荊州を守る水鏡(司馬徽)先生に、南海への出陣を促した。
雲南と、荊州の桂陽から士燮を挟み撃ちにする算段である。
「士燮は私が討つ」
私は、於我、諸葛靖、餡梨、加礼王、祝融らとともに
10万の兵をもって、交趾へ攻め込んだ。
これまでの戦いで、士燮軍の主だった将はわが軍についたか、あるいは討たれていた。
それでも士燮軍は必死の抵抗を示した。
帯来洞主
(たいらいどうしゅ)、侯成(こうせい)といった武将が奮戦した。
しかし、所詮多勢に無勢であった。
餡梨、祝融が帯来洞主を包囲して落とし穴に追い込んで捕らえ、
侯成、士壱は於我、加礼王の攻撃で壊滅した。
荊州の司馬徽軍も、南海を攻略しつつあった。

私は自らの手勢を引き連れて、士燮の籠る城内へなだれ込んだ。
士燮がいた。老骨にムチ打って、自ら槍を取って戦っていた。
私は、思わず「殺すな!」と叫んだ。

戦いが終わり、敵将たちが牽かれてきた。
士壱
(しいつ)、士徽(しき)、士匡(しきょう)、士祗(しし)…。
士燮の弟や子らであった。かつて、旗揚げ間もない頃、
ともに戦ったこともある男たちだ。
士燮が牽かれてきた。
私は士燮の正面に立った。
両脇をわが軍の兵に固められ、士燮が私を見上げた。
…思えば、この男の協力があればこそ、私は荊南を手に入れることができ、
今、ここにこうして生きていられるのかもしれない。
その昔、自ら頭を下げて、盟約を結びに行ったことを思い出していた。
そして、荊南を制した時、酒宴に駆け付けてくれた時のことも。

「哲坊殿…」
士燮が口を開いた。

「士燮殿…」
次の言葉が出なかった。

やがて、士燮が、自嘲気味に話はじめた。
「怖かったんじゃ…。わしには天下統一の野望などなかった。
 わしは、交州の秩序と平和を安泰に保ちさえすればよかった。
 じゃが、臣下や一部の民は、『天下』を求めた。
 交州の後は、蜀を取り、都(長安)へ攻めのぼることを期待した。
 それには、貴公と盟約を結ぶ以外なかった。
 劉璋が、馬騰に攻められたとき、わしは漁夫の利を得て、
 成都を攻め、奪った。
 じゃが、そこまでじゃった。
 同じく蜀を狙っている貴公や馬騰が次々と戦に勝ちつづけるさまを見て、
 わしは、自信がなくなった。
 このままではやられる、と思うたのじゃ。
 だから、馬騰との戦で傷付いた貴公の背後をついた」

「………」
私は考えていた。
怒りにまかせて、士燮を攻めた。
盟約の期間が切れた頃を見計らって攻めてきた士燮に対し、怒りを燃やした。
しかし、もし逆の立場であれば、私もそうしたかもしれなかった。

「貴公は、何のために戦っている?」
急に問い掛けられ、私は戸惑った。
なんの、ために…?
答えられなかった。

士燮は、私の背後に立つ側近の者たちを見やった。
その中には、餡梨、加礼王、孟獲、祝融といった、
かつて士燮の家臣だった者たちも混ざっていた。
「ふふふ…戦でも、器量でも負けたわ」
士燮は言って立上がると、
「さあ、もう話すことはない。早く首を打て」と促した。
私が何も指示しないので、於我が兵らに合図した。
士徽、士匡らは、おびえた表情を浮かべていたが、
父に殉じる意志は覆らないようであった。
私は、ただ刑場に牽かれていく、彼らの後姿を見ていた。

209年-9月

1年余が過ぎた。

私は、成都に戻っていた。
この所、自室に籠ることが多くなった。

私は、士燮の問いを思い返していた。
「貴公は、何のために戦っている?」

確かに、乱れた世を憂い、荒れた土地を富ませ、民を安んぜんとする気はある。
しかし、士燮の言ったように、自国の秩序を保ち、
善政を敷くことで、少なくとも数百万の民の暮らしを安んずることはできる。
多くの兵士たちを犠牲にしてまで領土を広げ、
他の領民を脅かすことに意味があるのか…?

そういえば、私は戦ばかりしてきた。
いつも、戦のことばかりを考えていた。
劉備は、漢帝国復興のために立上がったと聞いたことがある。
馬騰は、都をおさえて天子を擁し、天下に号令せんとしている。
曹操や孫策は何のために戦っているのだろうか。

やはり天下統一して己の野望を満たすのが目的なのか…?
それだけの器量を、彼等は、そして私は、持ち合わせているのか…?

私が荊州で旗揚げしたのも、於我に
「男と生まれたからには功名を立てるが道理」と諭されたからだった。
民の困窮した暮らしを見て、助けてやりたいと思ったのも確かだった。
だが、その時は、天下統一など夢にも考えていなかった。
民を思い、功名を立てるだけならば、
あのまま劉表に仕えて懸命に働いていれば良かったのではないか?

そもそも、私は何故この国にいるのだ…?
そこまで考えたとき、私は、都で董卓軍に編入され、戦に参加する以前のことを、
ほとんど思い出せなくなっていることに気が付いた。
そういえば、自分の生い立ちすら、よく覚えていないではないか…!
以前は、知っていたのだろうか。それとも、何かの拍子で…?

…何も答えは出なかった。

ところへ、諸葛靖が訪れた。
「義兄、このところ、ずっと何かを考え込んでおられるようですが…」
「……諸葛靖、御主は、何故私と共に居てくれるのだ?」
私がそう問うと、諸葛靖は少し考えてから、
「共に、歩んでいきたいからでございます」
「そうか…」
諸葛靖が探し求めていた賢人とは、諸葛亮のことだった。
その諸葛亮は、今や劉備の軍師として縦横無尽に活躍している。
それでも、諸葛靖はここにとどまっていた。
「劉備のもとへ行かぬのか?」
と言いかけ、やめた。それを口にしてはならない。
それに、旗揚げから苦楽を共にしてきた諸葛靖に去られるのは、考えたくないことだった。

「どうなさったのです?」
「いや…。して、何かあったか?」
「於我殿や紋次郎殿が、連日酒びたりです」
諸葛靖は心配そうに言った。
そういえば、士燮を倒してから、ここ1年あまり、
全く戦をしていないことに気付いた。

私は考えていたが、
「ふふ、あの2人は戦が生き甲斐のようなものだからな。」
私は、重い腰を上げると、外へ出た。
たまには外にでも出て気をまぎらわせるか。

諸葛靖とともに、城外の酒場に行くと、
於我と紋次郎、幽壱が何人かの兵士とともに、痛飲していた。
すでに、大龜が5つも空になっている。
私が入っていくと、騒いでいた兵士たちが慌てて立ち上がった。
幽壱も、驚いて杯を置いた。
於我と紋次郎はジロリと私を見たが、そのまま呑んでいる。

「一杯もらおうかな」
私が彼等の卓に歩み寄ると、
紋次郎は黙って杯を押し付けた。
酒の臭いに包まれながら、私は、それを一気に呑み干した。

すると、
「おお〜さすがは哲坊殿じゃぁぁぁ!」
紋次郎が嬉しそうに叫んだ。
兵士たちが歓声をあげ、周りにいた客らも、再び騒ぎはじめた。
「ご主君!もう1杯じゃ、もう1杯!!」
於我が、大杯に なみなみとつぐ。
それを口につけると、まわりの兵士たちが
「一気、一気!」と一斉に囃し立てた。
私はその通り、一気に呑み干した。
「おお〜〜!」
兵士らが歓声をあげる。
「がははは。男はこうでなきゃあな!お主も、もっと呑め!」
於我が、幽壱に杯を押し付ける。
幽壱は、遠慮しつつもそれを受け取った。
「白面の書生」とあだ名されるこの男だが、
相当この2人に飲まされたのだろう。顔が真っ赤だ。
諸葛靖は、半ばあきれ顔で見ている。

話を聞いたのか、城にいた餡梨や紺碧空、何人かの兵も駆け付けてきた。
私は、再度於我に注がれた杯を空にすると、皆を見回し
「よおし!来月、梓潼を攻めるぞ!」と叫んだ。
「うおおーーーー!!」
兵士たちの間から歓声が沸き起こった。
於我などは、歓喜の涙を流している。
諸葛靖や、餡梨、紺碧空らも嬉しそうな表情を浮かべている。

成都の空は、久しぶりに晴れ渡っていた。

 

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