三國志VII 奮闘記 9

 

ついに都・長安を手中におさめた哲坊。
しかし、馬騰は天子を連れて弘農に逃れ、
曹操、孫策もまた虎視眈々と都を伺っていた…。


 


213年-10月

追い詰められた馬騰軍は、なかなかに手強かった。
西の別働隊・
上総介(かずさのすけ)紋次郎(もんじろう)太郎丸(たろうまる)らは、
安定に続き、武威
(ぶい)をも攻略した。その後、西平を度々攻めたが、
敵将の
伏姫(ふせひめ)、韓遂、張魯、馬岱、王甫らの頑強な抵抗の前に
敗退を重ねていた。
そして、ここ長安は、馬騰本隊のいる東の弘農を攻めようにも、
南の曹操、孫策に背後を脅かされる危険があり、
うかつには手を出せぬ状態であった。

ある夜。が諸将らと夕餉を囲んでいると、早馬が到着した。
安定の上総介から援軍の要請である。
「やはり、6万やそこらの軍勢では西平は落とせぬか…」
於我(おが)がつぶやくように云った。
「うーむ…」
私は、
餡梨(あんり)がふるまってくれた麺をすすりながら思案した。
すると、箸を休めていた
諸葛靖(しょかつせい)が静かに云った、
「義兄。ここはひとまず弘農攻めを中止し、守りを固めたうえで、
 兵の一部を安定に送ってはいかがでしょう」
「ほう、名案ですな」
軍師・法正もそれに同調した。
「さすがだな、諸葛靖。よし、明日、私自ら安定へ向かう。於我、諸葛靖、
 
紺碧空(こんぺきくう)幽壱(ゆうわん)はともに来てくれ。
 餡梨、
鳳凰(ほうおう)許西夏(きょせいかは軍師とともにここを守れ」
すると幽壱が云う。
「都の政をおろそかにしないためにも、
 殿は、此処にとどまっておられたほうが…」
「上総介らが危機に陥っているのじゃ。もし逆に安定が敵の手に落ちれば、
 わが軍は危うい。私が行かねばならん」
私が強い口調で云ったので、幽壱も、
「殿はつくづく戦好きですな」と笑った。

翌朝、私は長安に10万の守備兵を残し、5万の兵を率いて安定へ出発した。
が、途中ふと思うところがあり、進路を武威に変更した。
ただし5万のうち1万は、諸葛靖、紺碧空に預け、そのまま安定に進ませた。
「ご主君。何故武威へ向かわれるのですか?」
於我が不思議そうに尋ねた。
私が含み笑いをしたまま何も云わないので、幽壱が
「安定と武威から、西平を挟み撃ちするのでしょう」
「その通りじゃ。馬騰軍の守りは堅く、士気も高まっておる。
 いくら正面から攻めても落とすのは難しいだろう。
 武威には甘寧
(かんねい)がおる。甘寧に加勢し、馬騰軍の背後をつく」
「なるほど…」
感心しきった様子の於我に、
「貴殿には思いもよらぬ戦略だろう」
幽壱がからかうようにいった。
「うるさい!起きたばかりでまだ頭が働かんのだ!」
於我は顔を赤らめて怒鳴った。
この2人は何故か仲が悪い。
しかし、最近では幽壱も於我や紋次郎に武芸を叩き込まれ、
だいぶ腕を上げたと聞く。
「抑え役の諸葛靖を安定にやったのは失敗だったか…」
私は苦笑しつつ、そうつぶやいた。

武威では、甘寧と董和が2万の兵で待機していた。
私は安定に向かった諸葛靖らが上総介軍と合流したとの報告を受けると、
全軍に西平城攻撃を命じた。
すなわち、南の安定からは上総介軍6万に、諸葛靖の援軍1万、
北からは私と甘寧が合計6万の兵で西平を挟撃する作戦である。

西平に立て籠った兵8万は度重なる戦のために疲弊しきっていたが、
さすがにわが軍の攻撃を耐え続けただけのことはある。
いささかもその士気は衰えていなかった。
しかし、南北から13万の大軍で攻撃されるに至るとさすがに抗しきれず、
徐々に城内へと後退していった。
わが軍はそこを城下で待ち伏せ、太郎丸が王累
(おうるい)を、
於我が王甫
(おうほ)を捕らえた。
乱戦の中、紋次郎が馬岱
(ばたい)に斬りかかった。
「馬岱!先年の恨み、今こそ晴らしてくれる!いざ勝負!!」
馬岱は「応!」と答え、紋次郎の偃月刀を槍で受け止めた。
両者の馬が幾度となくすれ違い、
武器のぶつかり合う音も数えきれぬほど響いた。
ともに死力を尽くしての攻防を続けていたが、
「うっ!」
そのうちに馬岱の槍が紋次郎の肩をかすめた。
しかし、槍は運よく鎧の肩当てを弾き飛ばしたにすぎなかった。
紋次郎は体勢を立て直すと、偃月刀を横に払う。
あわや馬岱の体を両断にすると思われたとき、
激戦に耐えきれなくなった紋次郎の馬が片足を折った。
紋次郎の攻撃は空を切り、体は地に投げ出された。
その隙に馬岱は城内へと逃げ去った。
「追え!逃がすな!」
紋次郎は抱き起こしに来た兵らを叱咤した。
それを合図にわが軍は総攻撃を仕掛けた。
幾度かの突撃の末、わが軍の兵らは門を破り、城内へ突入した。
私も、兵らとともに城内へ入った。

「殿!こちらです!」
追い付いてきた幽壱とともに、上総介、太郎丸が呼んでいる方へ行くと、
一室に、武装した女が数人の兵に囲まれ、立て籠っていた。
「伏姫か?」
「そのようです」
上総介が云った。
私が部屋に近付くと、入口付近にいた伏姫の兵が1人斬りかかってきた。
それをかわすと、太郎丸が素早く踏み込み、その兵を斬った。
つづいて2人目が飛び掛かってきたが、幽壱が躍り出て槍で突き倒す。
「私が哲坊だ。伏姫とお見受けしたが」
女は黙って私を睨んでいた。その目は冷たかった。
「哀しい目をしている…」
私が思う間に、3人目が斬りかかってきた。
私は、その攻撃を剣で受け止め、弾き返した。
「ぐわっ」
それを太郎丸が斬る。
室内は、たちまち兵らの血で染まっていった。
「貴殿を殺したくはない。降伏するのだ」
私は、伏姫の目を見つめながら云った。

「それ以上近づくと、私は死にます!」
伏姫が剣を構えて口を開いた。
「美しい声じゃな。自ら喉を突くというか」
私は、なおも歩み寄る。
「殿、危険です。お下がりください」
太郎丸が私の腕を引く。

「貴殿は、馬騰の娘か?」
伏姫は答えず、あとずさった。
残った兵は3人。今度はその全てが一斉に襲いかかってきた。
わが軍の兵が前に出て
それらを防ぐ。
伏姫はその隙間をかいくぐり、私に突きかかってきた。
私は、伏姫の一撃を剣で受けつつ、左腕で伏姫の右ひじを掴んだ。
そのままひねり上げると、伏姫は「あっ」と叫んで剣をとり落とした。
「さあ、おとなしくしろ」
兵らが伏姫を取り押さえた。
見ると、伏姫を守っていた兵らはすべて倒れていた。
城内では、まだ抵抗する兵がいたようだが、
於我と紋次郎が馬岱を捕らえて引きずってくると、
その抵抗も止んだようだった。
奮闘を続けていた韓遂(かんすい)は、
紺碧空の兵らが五体を斬り刻んでしまったあとだった。
残る将・王甫は城から脱出し、東へ逃れていったようだ。
戦がやみ、私は玉座の間に捕虜を連れて来させた。

「私は、曹操軍の将・夏侯惇(かこうとん)の娘です」
縄を解かれた伏姫は観念したのか、ようやく境遇を話しはじめた。

伏姫は幼い頃、夏侯惇とともに[眉β]塢(びう)城にいた。
あるとき、夏侯惇は曹操に従軍し、東の戦線へと向かった。
[眉β]塢(びう)には多くの兵が駐屯していたが、
この乱世である。都に近く、それだけに諸侯の標的にはなりえた。
あるとき、大軍で攻め込んできた馬騰と劉表の連合軍の前に、
[眉β]塢を守っていた鍾ヨウ軍はもろくも敗れ、城は奪われた。
伏姫は馬騰軍の捕虜となり、西涼へと連れ去られた。
連れ去られた女たちは、馬騰の将兵らに分け与えられたが、
馬騰は伏姫を将兵の妾にするのは不憫に思ったのか、
自分の妻に小間使いとして与えた。
もちろん、彼女は夏侯惇の娘であることは明かさなかった。
伏姫は軟禁状態のまま、馬騰の妻に長年仕え続けた。
いつしか、父・夏侯惇が迎えに来てくれると信じて…。

しかし、曹操軍はついに洛陽から西には来ることができなかった。
才能を見出された伏姫は、馬騰軍の後方基地である天水に
とどめ置かれ、太守として城を守らされるまでになったのである。
彼女は自ら前線に出ようとはせず、夏侯惇が来るのをじっと待っていたのだ。

…伏姫の話が終わった。
諸葛靖や於我は目を潤ませていた。
城内は戦のあったことが嘘のように、ひっそりと静まり返っていた。

「哲坊殿に申し上げる」
捕虜となった馬岱だった。
馬岱は、まだ後ろ手に縄をかけられたままであった。
「聞こう」
「私の命と引き換えに、伏姫を解き放ってやってはくださらんか」
伏姫が、馬岱を振り返った。
「馬岱殿…」
馬岱は、戦いで傷つき、疲れきってはいるようだが、まだその目は
らんらんと輝き、私の顔を見据えている。
私は、大きく息を吐くと彼のもとに歩み寄った。
「馬岱殿。貴殿の忠節、まことに天晴れである。
 よろしい。貴殿と王累殿で伏姫を守り、弘農へ戻るがよい」
彼らは驚きの表情を浮かべた。
「殿、せっかくの捕虜を逃がしてしまわれるのですか!」
諸将の中には納得しない者もいるようだったが、
私はその意見を押し通した。

翌日、馬岱、王累、伏姫の3人は我々を何度も振り返りながら、
数百人の兵とともに弘農へと向かった。
わが国を通過してゆくので支障はない。
「戦場で会ったら、容赦なくかかって参られよ」
去り際、私は馬岱らに云った。
時候は厳寒。
降り積もった雪の上に、彼らの足跡がどこまでも続いていた。

214年-10月

涼州を制圧して1年が過ぎた。
私は、戦で荒れた涼州の治安回復につとめ、
また、長安の守りを堅固にしていた。
そこへ…。
江夏の徐庶軍、柴桑の張昭軍が、わが領の長沙に侵攻を
開始したとの報が入った。

「やはり南か…」
馬騰は大軍で弘農を守っている。
その背後には曹操軍。
対峙したまま時を費やしていても無駄かもしれない。
私は、孫策軍と決戦する覚悟を諸将に打ち明けた。
「そうじゃ。南じゃ!孫策の野郎を叩きつぶそうぞ!」
紋次郎、於我、餡梨が案の定真っ先に賛同してくれた。
幽壱も珍しく於我らに同調した。
諸葛靖、法正は長安に留まるべきだといったが、
私はすでに荊州へ向かう決意を固めていた。

翌月、私は長安を法正、董允、兀突骨らに任せ、
諸将を連れて荊州の江陵へ向かった。
江陵では、久々に呂蒙
(りょもう)、潘濬(はんしゅん)らが出迎えてくれた。
私は途中で、漢中に厳顔
(げんがん)、沙摩柯(しゃまか)を配置して軍備をさせ、
孫策軍に攻められた長沙には上総介、紋次郎、太郎丸、徐盛
(じょせい)らを
援軍に向かわせた。

そして、江陵では柴桑へ出兵すべく軍備を開始した。

 

現在の地図を見る   現在の哲坊陣営(江陵、長沙)

 

 

 

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