三國志VII 奮闘記 外伝2

 

 

各地は戦乱で荒れ果てていたが、ここ幽州の北平は広大な袁譚の領地の後方なので、
時折、異民族の烏丸と小競り合いがある程度で、比較的平和な時が流れていた。

なんの為に、ここに来たのか…?
よく思い出せなかったが、以前、豊水桂原豊に聞いた哲坊という人物の事が
無性に気にかかっていた。しかし、哲坊に会いに南に行くには、
幼い幸村(ゆきむら)にとって距離が遠すぎた。

「時を待つことです」
髭鏡塾の教師の1人、雅昭(がしょう)はそう言った。
「ここを出れば、山賊や凶暴な動物があちこちにいます。今は、ここで国の情勢を知り、
 学問を覚え、体を鍛えるのです。一人前になってからお行きなさい」
雅昭の部屋は、何枚もの画や書で一杯だった。
すべて、雅昭の作品であった。各地で見聞した人物や戦いの様子を
描いたものだった。中には哲坊を描いたものもあったようだが、
幸村の記憶とは一致しなかった。

数年の歳月が過ぎた。
幸村(ゆきむら)は、15才になっていた。
とはいえ、誕生日を記憶しているわけではなかったので、
同年代の子供と比較して、大体の年齢を髭鏡(しきょう)が推定したのである。

読み書きは豊水に習っていた。
武芸の稽古は、食客の紫龍(しりゅう)と、伯虎(たけとら)につけてもらっていた。
伯虎は、袁譚の重臣・沮授(そじゅ)の息子である。伯虎とは字(あざな)のようだが
周囲の人はいつもそう呼んでいるので、幸村は彼の本名は知らなかった。
紫龍と伯虎は仲が良く、よく互いの技を競い合っていた。
また、もう1人の食客、諸葛音(しょかつおん)ともよく話をした。
彼女は何故か曹操軍の軍師・荀イクに憧れ、その荀イクをかたどった人形を
部屋に大事に置いていた。昔、餡梨(あんり)という行商の女から
譲ってもらったものだという。

ある日、幸村は、袁譚の本拠地、冀州のギョウや青州の北海において、劉備軍との
大規模な戦が始まったことを知らされた。
髭鏡、豊水は軍議のため冀州に呼び出され、北平を離れていた。

数日後、髭鏡が戻って来た。
「大変なことになったわい。袁譚様が…袁譚様が劉備に斬られた…」
髭鏡は、自室に入って水を飲み干すと、言った。
「戦は、どうだったのですか?」
幸村がたずねると、付き添いの兵が肩を落しながら
「平原、ギョウ、北海…ことごとく劉備軍に奪われました…。
 わが軍は、南皮まで撤退したのです」と告げた。
「みじめじゃ。わが軍には、田豊殿、沮授殿、陳琳殿といった知将と、
 顔良・文醜という猛将がいるというに、袁譚様は彼等の意見を聞こうとせず、
 敵将、諸葛亮の罠にはまって命を落されたのじゃ…
 しかも、劉備軍の強さは半端ではない。
 特に、あの関羽、張飛、趙雲の鬼神のような暴れぶりと来たら…」
髭鏡は戦の様子を思い出したのか、身震いしながら語った。
「顔良様や、文醜様は?」
「いかん。関羽、張飛に挑んで、やられてしもうた…」
「!」
「呂布様に助けていただかなんだら、わしの命も危うい所じゃった」
「ああ、呂布様が!?……そういえば豊水殿は?」
「……劉備軍に捕まったようじゃ……」

悲報が次々にもたらされた。
袁譚の跡をついだ、弟の袁煕は、雪辱を期すべく平原に討って出たところを、
関羽軍の待ち伏せに遭い、あえない討死をとげた。
袁煕の弟、袁尚が跡を継いだが、敗戦の打撃は大きく、
翌月には南皮を攻め取られてしまった。
この戦いでも、主だった人物が討死したという。
対する劉備軍は、南皮の関羽を先鋒に、晋陽に趙雲、
北海や平原に関平、翠火(すいか)ら後詰めを次々と送り込んでいるらしい。
大漢帝国再興に燃える劉備は、曹操、孫策に対抗するため、河北制覇に
本格的に乗り出して来たのである。

数日後、幸村、紫龍、諸葛音、雅昭、桂原豊は、髭鏡の屋敷に集まっていた。
「劉備軍は、ほどなく、この北平にも攻め込んで来よう。
 お主たちを戦に巻き込みたくはない。戦が始まる前に、ここを出るのじゃ」
髭鏡が言った。
幸村は迷っていた。哲坊に会いに行くため、ここを出るべきか、世話になったここに
とどまり、劉備軍と戦うか…。2つにひとつだった。
「生きなさい。幸村殿。生きて父上殿のもとへ行くのです」
雅昭が言った。
「父上?!」
みんなが、雅昭の顔を見た。
「訳あって隠していましたが、幸村殿は、あの哲坊殿のお子なのです」

「………」
衝撃的な事実だった。
「哲坊が、俺の父……」
雅昭は、それ以上語らなかった。
「会えば分かる」とだけ言った。

眠れぬ夜が明けた。
紫龍、諸葛音が門の外で待っていた。
2人とも幽州を離れ、然るべき主君を探しに旅に出るので、
幸村は、共に行くことを選んだのである。
髭鏡、雅昭、桂原豊らは、国境付近まで、馬で見送ってくれた。

「また会えるよ…な」
桂原豊が言った。旅立つ3人は、黙って頷いた。
「では…」
紫龍が言い、3人は歩を踏み出した。

南皮に入った。すでに劉備領である。
と、背後から馬に乗って駆けて来る者がいた。
「旅立つんだってな」
男は、3人の前まで来たところで振り向いた。
伯虎(たけとら)だった。
「さあ、これを持って行きな」
伯虎は、紫龍に大きな包みを手渡した。
保存のきく食料が入っていた。
「すまん」と紫龍。
「なあに、しばらくお前と稽古をしなくていいと思うと気も楽だよ」
「伯虎殿はやはり、残るのですね…」
諸葛音が聞くと、伯虎は、ちょっと真剣なまなざしになって、
「親父とともに、最後まで戦うさ」と言った。
「じゃあ、達者でな。幸村、無茶するんじゃないぞ」
そう言うと、伯虎は風のように去っていった。
敵の領地に長居は無用なのだ。3人は、伯虎の姿が見えなくなるまで
地平線を眺めていた。

警戒の厳しい平原、濮陽方面は避け、
ギョウから司隷の河内へ抜ける道を通った。
しかし、ここも度重なる戦で、街は荒れ果てていた。
ある村にさしかかると、少し離れた草原で、曹操軍と劉備軍が戦っている、
との情報を村人から聞いた。
「戦か。観に行ってみるか?」
紫龍が珍しく興味ありげに言った。
幸村も、戦争がどんなものかを見たかったので異存はなかった。

村人の案内で小高い丘に上った。
村人は、小柄な男で、急な斜面をひょこひょこと上っていく。
3人は後に続いた。

視界が開け、無数の人馬が見えた。
村人によれば、向かって左が曹操軍で、右が劉備軍だという。
兵力はわずかに曹操軍の方が多く見えた。
「あれが、劉備軍の孔明様だよ」
村人が、右側の軍勢、後方を指差した。
「孔明というと、あの諸葛亮孔明のことか?」
紫龍が尋ねる。
「そうさ。百年にひとりと言われる天才…」
大きな「帥」の旗が翻り、その下に
十数人の兵に守られた四輪車が見える。
そこに端座している白い衣装を着た人物が孔明だろうか。
時折、手に持った白い扇を動かし、回りの兵に指示を出しているようだ。
劉備軍は、その指示通り、正確に陣形を整えながら進軍していた。

両軍の間は、まだかなり開いていた。
「夏侯惇、それに曹仁もいる」
対する曹操軍の指揮官らしい。軍の中央にいる、黒い鎧の男達だろうか。

両軍の距離が縮まってゆく。
行進がやみ、両軍は睨み合う形となった。
曹操軍の中から、1人の男が馬を進ませて、前に出た。
そして、しきりに劉備軍に向かって罵声を浴びせている。
何を言っているのかまでは聞き取れないが、
その声は、こちらまで届いたほどであった。
「ありゃあ、新荘だな」
村人がおかしそうに言った。
「あなた、一体……」
諸葛音が尋ねると、
「俺は田無(たむ)。字は多夢だ。タムタムと呼んでくれ」
男は振り返り、白い歯を見せた。

新荘の罵声は続き、劉備軍の兵士の何割かはそれに反応し、
今にも飛び出しそうな様子を見せていた。
しかし、諸葛亮の指令だろうか。攻撃を仕掛けるまでには至らない。
仕掛ければ、曹操軍の術中にはまるに違いない、と幸村は思った。

新荘の罵声を受けてか、劉備軍からも1人進み出て来た。女だ。
伊那猫(いなねこ)か」
田無がまたつぶやいた。独り言なのか、説明のつもりなのかは分からない。
伊那猫なる女武将は、曹操軍に対してか、今の新荘の罵りに対してか、
痛烈な罵倒の言葉を返したようだった。

その言葉に怒ったか、新荘の後方に控えていた武将が馬を走らせ、
伊那猫に向かって行った。
伊那猫は、自軍の中へ逃げ込む。そして、入れ代わりに出て来た男が、
曹操軍の武将に向かっていく。
怒って出て来た曹操軍の武将は、白銀の鎧を着、両手に刀を持った
荒賢(こうけん、字・龍鳳)という男だ。
劉備軍の将は、かつて呂布の部下だったこともある高順だ。
両者の一騎討ちが始まった。戦闘は基本的に、
両軍の猛者の一騎討ちで始めるのが習いらしい。
一方が有利な体勢になると、その軍から歓声があがる。
両者は、一進一退の攻防を続け、数十合打ち合ったが、やや高順が優勢に見えた。
荒賢の形勢が不利と見るや、曹操軍からもう1人出た。
許チョという猛将である。筋骨隆々、見るからに強そうな男だ。
高順は、許チョの一撃をかろうじて受け止めたものの、
手強いと見るや自軍へと馬を返した。
それに勢いを得て、曹操軍が一斉に攻撃を仕掛けた。

しかし、軍勢がぶつかり合うや、横合いから劉備軍の伏兵がどっと湧き出てきて、
曹操軍を三方から包み込んでしまった。
曹操軍は、大将の夏侯惇、曹仁以下、荒賢、セバス遁我利(とんがり)といった
勇将らが、その死地にあって奮闘していたが、ついに抗しきれず、敗走を始めた。
それを追撃していく劉備軍。
後には、諸葛亮の本隊と、その前の草原に、動かなくなった兵馬が無数に転がっていた。

「これが…戦い…」
幸村は、眼下に繰り広げられた戦いを振り返っていた。

その夜は、田無の住む家に厄介になった。
田無は、以前は劉備軍に居たこともあったが、人に仕えるのが嫌いで、
こうして気侭な暮らしをしているのだという。
田無の家には、食客が1人いた。
潟上条星という、朴訥な男である。
風流を愛し、茶をすするのが好きなのだそうだ。
曹操軍のセバス、雨山とは義兄弟だという。
ちなみに、劉備軍に捕われた豊水は、劉備の配下となり、
晋陽で趙雲の下に仕えているそうだ。それを聞いて安心した。

翌日、3人は田無の家を出発した。
条星に一緒に来ないかと誘いをかけてみたが、
「この村で茶をすすって、気侭に暮らす方がいい」と彼は断った。

翌月、3人は洛陽に入った。
道中、山賊に襲われたりもしたが、ある時は紫龍が追い払い、
ある時は逃げ、なんとか辿り着いたのである。
洛陽は、かつての都で、董卓に焼かれたと聞くが、今では曹操が修復し、
昔ほどではないが、それなりの賑わいを見せているようだ。
洛陽では、各地の情勢をよく掴むことができた。

「哲坊軍が士燮軍と手を切り、蜀に攻め入って成都を陥落させたらしい」
酒場では、人々がそんな噂をしていた。
「なんでも、士燮の方から仕掛けたって話だぜ」
「成都を奪ったといっても馬騰と士燮に挟まれてちゃ、哲坊軍もつらいよなあ」

「成都…」
幸村は気がはやるのを感じつつ、そこに至るまでの距離を思った。
 

 

 

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