武田戦記(二) 川中島 うつけゆーろー先生作

信玄は海津城に入った。
上杉謙信は妻女山におり、こちらをうかがっている。

晴信は出家して「信玄」と名を改めており、謙信も上杉輝虎の出家後の名である。

永禄四年九月九日。武田菱の旗が動いた。
信玄の本隊八千は八幡原へ、一万二千の別働隊は妻女山へ向かった。

別働隊は松明に火を付けず、静かに妻女山を登る。
信玄本隊もまさに林の如く・・・。

謙信はその口元に微笑を浮かべていた。
武田軍の動きを事前に察知した謙信は山を下り、八幡原に陣を布いた。
もちろん信玄はそれを知る由もない。

霧である。
霧が両軍の姿を隠し、信玄には謙信の動きがわからない。
(さて、いつごろになるか)
信玄の頭の中では、別働隊に追い落とされてくる上杉軍が鮮やかに浮かんでいた。

霧が晴れた。
武田の将兵は我が目を疑った。
目の前に敵兵がうごめいている。
「敵、敵にござりまするっ!」
それは信玄の目にも見えていた。
(信じられぬ)
武田の兵たちは皆、これと同じことを思ったであろう。
信玄は陣を鶴翼に立て直し、戦う姿勢を整えた。
(このように戦闘を開始するとは思いもせなんだ)
別働隊がこの勝負を握っている。別働隊が到着するまで持ちこたえねば、信玄に勝ち目はない。
(必ず我が軍に勝鬨があがる)
信玄はそう信じた。

謙信の軍は武田軍に殺到した。
数千の上杉軍は何本かの線となり、武田軍に食い込む。
武田の第一陣は山県昌景・武田典厩信繁・穴山信君。この三隊は正面から上杉軍を食い止め、機を見ては反撃に出、また退いて戦った。
武田軍は必死で、なかなか崩れない。しかし、上杉軍はどんどん押し寄せる。
典厩信繁は自ら陣頭に立って部隊を指揮していたが、形勢は悪くなる一方で、徐々に後退していく

「信繁様、御討ち死にっ!」
若武者の声が信玄の耳に伝わると、若武者は馬から落ち、その場に転がった。

・・・信繁が死んだか。
・・・信繁・・・

老練な武田家の当主は、ゆっくりと首を動かし、修羅場の天を見つめた。
川中島の雲はゆっくりと空を這って動いている。

信繁隊の穴を埋めるが如く、山県昌景の部隊が前へ押し出た。
少数ながらも果敢に攻めかかり、互角の戦いを演じている。
(山県はなかなかやる)
信玄は今さらのことのように昌景の戦いぶりに感心した。
(右はどうか)
信玄は床几から離れ、松の幹にもたれながら、凄惨な戦場を眺めた。
右、とは諸角・内藤隊の辺りである。
諸角豊後守と内藤修理亮の二人も、信繁隊などと同じく、激しく戦っている。
(こっちもよく持つわい)
しかしこの時、諸角豊後守昌清は乱軍の中で討ち死にしていた。

討ち死にの報告が相次いでやってくる。
老将、山本勘助もこの時討ち死にした。
勘助は手持ちの騎馬武者を率い、謙信本隊へ突っ込むために修羅場を突き抜けたが、その途中で討ち死にした。

信玄は床几に座って動かない。
若い頃は馬に乗って戦場を駆け回ったのだが、もうこの歳である。

形勢は徐々に悪くなってゆく。
信玄の周りにも兵が見えなくなり、そのほとんどが戦場に投入された。v その一方で謙信もあせっていた。
(まだ信玄は討ち取れぬか)
(このままでは別働隊が来てしまう)

事実、別働隊はもう少しで妻女山を突破しそうである。
謙信は甘柏近江守の一隊だけを残して来ていた。
その防備も長続きはしまい。敵は一万二千人である。
別働隊の到着は謙信の敗北を意味する。

(その前に信玄を討ち取らねば)
謙信は白馬にまたがり、一騎で旗本を飛び出した。
それに十人の兵がついている。

「信玄、ここにいたかっっ!!」
謙信は集まって来た武田兵を斬りながら、信玄の床几に近づいていった。
信玄は謙信をはったと睨みつけると、
「推参者、参れっ!」
軍配を構え、謙信の太刀、小豆長光を受けた。
九回斬りつけ、そのうち二回は信玄の肩を傷つけた。
近侍の原大隈守が走り寄り、謙信の馬の尻を刺した。
(無念・・・)
謙信の白馬は大きく飛び上がると、信玄の視界から消えていった。

その頃、上杉軍の背後には武田軍の別働隊が襲い掛かっていた。
八幡原の空は青く晴れ渡り、武田軍の勝利を映していた。



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