反 大坂夏の陣 yudai先生作

慶長二十(一六一五)年四月二十三日、大坂夏の陣が勃発した。
謀将真田昌幸の子幸村は赤備えの軍を率い、
 「我こそは真田左衛門佐幸村なり!」
と大音声で呼ばわりながら影武者と共に赤い疾風となって徳川家康の本陣に突撃しよ
うとしていた。幸村と影武者は狼狽する家康を追い、とうとう討ち取ってしまった。
「家康討ち取られる」の報は全軍に伝わった。幸村は思った。
「兄上様はどうなさったのか。」
幸村は陣中で信幸を探した。幸村は関ヶ原の合戦の際秀忠軍を苦しめ、遂に関ヶ原の
合戦に遅参させているのである。普通なら切腹も免れぬ事態であるというのに兄とそ
の舅本多忠勝の説得によって助命されているのである。
 「兄上は自分の功と引き換えに儂と父上を助けてくださったのだ…」
兄上を壊滅した東軍において置くのは忍びない。幸村はそう思ったのだ。だから必死
で兄を探した。その時彼の目前に一人の武者が立ちはだかった。
 「真田左衛門佐殿とお見受けする。主君の命により首を頂戴いたそう。」
言うより早く、武者は太刀を抜いた。
 「無礼者!」
幸村は怒鳴り散らした。太刀を抜いた音がした瞬間、武者の首が胴体から離れた。そ
して、幸村は徳川秀忠に従軍している兄の姿を見つけた。
 「兄上!」
幸村は思わず声を上げた。
 「そ、そなたは幸村か…」
 「そうでございまする。我こそが左衛門佐幸村にございます。」
 「そうか。さすれば先ほど家康殿が討ち取られたと聞いたが、もしや。」
 「そうです。家康を討ったのはそれがしでございます。兄上、そうとなれば秀忠な
どに従う必要はありませぬ。」
 「そうじゃ。もう秀忠などに従わぬでも…よし、皆の者、我が討つは秀忠じゃ、秀
忠を討て!」
 「真田伊豆守が謀反したぞ!」
 秀忠勢は浮き足立った。何しろ敵は信幸・幸村兄弟と大野治長・毛利勝永・伊達政
宗の連合軍である。愚昧な秀忠では為す術もない。秀忠は伊達政宗の婿で自分の実弟
にあたる松平忠輝の家臣に討たれた。そして幸村は大坂城へひき返した。
 「秀頼様!」
 「おう、左衛門佐、家康の首とは大手柄じゃ!」
 「いやぁ、さしたる物ではございません。」
幸村は謙虚に言った。やがて、大野治長、木村重成、明石全登、長宗我部元親、
後藤基次等も入ってきた。徳川家滅亡後、井伊直孝は落ち武者狩りに遭って落命し、
本多忠朝は流罪となった。彼はずっと豊臣家を恨み続けた。しかし、時代は豊臣の世
であった。父や主君の苦労は全て無駄になってしまったのだった。
秀頼の子、国松は元服して秀信と名乗った。彼は福島忠勝や加藤忠広、真田幸綱等、
秀吉の家臣の子孫に支えられ、豊臣政権の基礎作りに勤しんだ。その時代になると、
誰も家康という逆臣のことも、関ヶ原のことも忘れていた。