
ここでは”本能寺の変”直前の、信長の家臣団の状況を紹介しましょう。
”本能寺の変”直前の織田軍の勢力は、5つに分かれて戦闘をしていて、 信長本人の勢力を混ぜると、6つの勢力の固まりがありました。
これは、対上杉に設けられた軍である。総大将は織田家筆頭、柴田勝家。
一益は、長篠の戦いの後、関東管領に任ぜられ、対北条軍の総大将として一任されていた。しかし、北条軍に苦戦したため本能寺の変のときは、仇打ちどころではなくなってしまった。
この軍は明智光秀を総大将とし、近畿の治安維持に勤めていた。
この軍は、羽柴秀吉を総大将とし対毛利として派遣された。
この軍は、対長曾我部に編成された。神戸信孝は、信長の息子で 神戸家を継ぐ。
信長お気に入りの蘭丸をはじめ、いわゆる信長の警護隊。本能寺の変ではみんな最後まで戦い、 討死にした。